大津市歴史博物館

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第19回 相模町出土複弁八弁蓮華文軒丸瓦について

瓦表面 裏面墨書銘
瓦表面(左)と裏面墨書銘(右)

 同笵(どうはん)瓦とは同じ瓦当笵から製作された瓦を呼びます。兄弟瓦です。わが国古代の瓦当笵はほとんどが木製であったと考えられています。木製瓦当笵は、使用されるに伴い磨滅したり、傷が付いたりします。この笵の磨滅や傷が、瓦当製作時に瓦本体に反転した形で付きます。この瓦に付いた磨滅や傷跡の進行状況から、瓦の製作時期の前後関係を読み取ることができます。
 ここに紹介します複弁八弁蓮華文軒丸瓦(ふくべんはちべんれんげもんのきまるがわら)は、故西田弘(にしだひろむ)氏から当館に寄贈されたものです。西田氏の報告によりますと、この軒丸瓦は現JR東海道線以北の相模川沿いの地で採集されたものとのことです。昭和20年7月、旧大津紡績工場(戦時中は山添発條(やまぞえはつじょう)という軍需工場であったそうです)敷地内の工場運動場の東南隅で防空壕を掘っていた時に、地表下約3尺(約90cm)のところよりこの軒丸瓦が出土しました。伴出遺物として平瓦や須恵器の破片等があったそうですが、終戦混乱時に散逸してしまいました。
 軒丸瓦は直径約17cmで、直径5.6cmの中房(ちゅうぼう)に1+5の蓮子(れんし)を配します。花弁は比較的短く約2.2cmを測ります。また、外区には比較的大きめな珠文(じゅもん)が巡ります。この軒丸瓦は奈良県の平城宮跡で出土している「6235B」型式の軒丸瓦と同笵瓦です。
 この「6235B」型式の軒丸瓦の同笵瓦は、大津市内では相模町の他に、石山国分遺跡や膳所城下町遺跡でも出土しています。特に石山国分遺跡第4次調査では5点出土しています。「6235B」型式の軒丸瓦は、平城宮跡出土軒瓦の編年研究において第W期(天平宝字元年〜神護景雲年間)(757〜770)前半に位置づけられています。この年代観や平城宮使用瓦との同笵関係などから、石山国分遺跡第4次調査で検出された東西南北に整然と配置された溝や建物群は保良宮関連の遺構と考えられています。さらに、膳所城下町遺跡で検出された2棟の掘立柱建物や防御的な性格を持つ区画溝についても、この軒丸瓦の出土から保良宮に関連する遺構ではないかと推定されています。  「6235B」型式と同笵の軒丸瓦は、大津市以外では、先に述べた奈良県平城宮跡の他、当麻寺(たいまでら)や三重県松阪市の御麻生薗廃寺(みょうぞのはいじ)でも出土しています。特に御麻生薗廃寺出土例は、石山国分遺跡出土例や相模町出土例に比べて笵の磨滅が進行し、製作技法や使われた粘土が異なっています。このことから石山国分遺跡・相模町出土例とは異なった工房で「6235B」型式の瓦当笵が再利用され、御麻生薗廃寺の軒丸瓦が製作されたと考えられます。しかしながら、なぜ大津から松阪に瓦笵が移され、使用されたかは謎につつまれたままです。
 このようにいろいろな情報を語りかけてくれる複弁八弁蓮華文軒丸瓦は、奈良時代の大津の姿を解明する上で、重要なカギであるといえます。


(本館学芸員 青山均)