大津市歴史博物館

学芸員のノートから

第52回 博物館の新収蔵品について(平成30年度)

 博物館では、散逸しがちな地域の史料や文化財を積極的に収集・保存しています。今回は、平成30年度の新収蔵品を紹介します。



今様風俗見立紫式部近江八景眺望図 絹本著色 江戸時代 1幅(購入)

  

 水面に映る仲秋の名月に触発され、紫式部が源氏物語を石山寺で執筆し始めた場面を描く画題は、土佐光起(1617〜91)の頃には登場しています。光起画では、あくまでも執筆のエピソードの描写にとどまっていましたが、時代とともに近江八景の全てが見渡せる眺望が描写され、近江八景図の性格をあわせ持つようになりました。本作は、その近江八景化とともに、式部が今様の風俗美人に見立てられた、早い時期の作例です。美人の面貌や結髪は、浮世絵師の西川祐信(1671〜1750)の影響が強く感じられる一方、松樹や岩肌の描写は、狩野永納など京狩野家風のスタイルです。アカデミックな京狩野の画法で、最新流行のモデルさんを描いた、ハイブリッド作なのです。

今様風俗見立紫式部近江八景眺望図

今様風俗見立紫式部近江八景眺望図



鬼念仏藤娘図 温山良隠筆 1幅(購入)

  

 18世紀に描かれた絵変り大津絵。作者は温山良隠(1748〜97)。伊勢松阪の出身。蘇氏を名乗り、批把、晩翠と号す。実直な雅人で、名声や売画のために揮毫しなかった人物であったことが、温山の墓所、松阪の養泉寺にある墓碑銘に記されています。独特の擬人化的な表現が加わった、長崎派花鳥画の作風が師の持ち味でしたが、温山はそれに円山派の画技が加わった作風をみせています。本作は、大津絵のユーモア表現をさらに市井の男女の姿に見立てて敷衍(ふえん)した作品。画題の趣向は、都の近郊の藤棚見物にでも出かけた鬼と町娘が、帰路の折、雪駄の鼻緒が切れて、鬼が娘を背負って家路につくほほえましい場面、というものでしょう。もちろんこの娘は藤娘の見立てです。

鬼念仏藤娘図 温山良隠筆

鬼念仏藤娘図 温山良隠筆



船道郷士竹内氏見聞覚書 紙本墨書 江戸時代 1冊(購入)

  

 船道郷士(仲間)は、江戸時代に本堅田村(現大津市本堅田)の居初・簗瀬・竹内家、今堅田村竹内家の四家によって構成・運営され、船に関する諸権利を保持していました。仲間は、各家が「年番」として毎年交代で運営していました。本資料は、本堅田村で船道郷士であった竹内氏が、天明8年(1788)〜文化3年(1806)の本堅田村およびその周辺で起こった出来事を見聞録として記録した1冊です。領主や周辺地域との関係、また村の年中行事や水災害の状況など内容は多岐にわたります。なかでも記主の父親の闘病記は克明で、医師の活動、投薬の様子も記されています。一部、本堅田村庄屋の記録と重なる記述もあり、地域史料として稀有なものであるといえます。

船道郷士竹内氏見聞覚書

船道郷士竹内氏見聞覚書



近江国滋賀郡北浜村検地帳・同村寺付高除地帳 紙本墨書 江戸時代 3点(購入)

  

 本資料は、@慶長7年(1602)、A延宝7年(1679)に実施された滋賀郡北浜村(現大津市和邇北浜)の検地帳、およびB元禄10年(1697)に作成された同村新光寺の除地(免税)を通知した検地帳(木箱共)。慶長7年検地では、小出播磨内谷理衛門尉によって実施され、田畠76町9反2畝17歩、小物成分を含め、分米957石9斗5升4合。延宝7年検地では、戸田左門内戸田権兵衛による実施で、幕府領分の18町2反9畝1歩、分米232石6斗8升9合を記録する。またBは新光寺所持下々畑の除地分を記します。なお、北浜地区には現在も共有文書が保管(旗本久保家領の庄屋文書)されていますが、本資料の検地帳関係は含まれていない点も含め、土地利用に関する基礎的データを復元する史料として貴重といえます。

近江国滋賀郡北浜村検地帳・同村寺付高除地帳

近江国滋賀郡北浜村検地帳・同村寺付高除地帳



逢坂山東海道筋林山絵図 紙本著色 江戸時代 1鋪(購入)

  

 江戸時代の大津町の八町から髭茶屋町間周辺の山々を領主ごとに色分けして描いたものです。端裏書に「御林山図」「佐久間」の墨書があり、佐久間が大津代官同心であることから、本図が幕府領の山林を示すことを目的に作成された絵図と考えられます。下・中関寺町辺りから中大谷町間の山道を赤線で示していて、何かの意図(普請計画?)があったものとも推測されます。領域を示す色分けについては、凡例による追分・関寺・大谷等町共有山の範囲を示す以外にも、周辺の松本村や馬場村、三井寺領を鮮やかに示します。また、山の名が詳細に記され、山林(植生)状況も描かき分けられています。

逢坂山東海道筋林山絵図

逢坂山東海道筋林山絵図



滋賀郡南浜村安孫子家文書 明治〜昭和 66点(購入)

  

 近江国滋賀郡和邇南浜村の安孫子熊次郎家に伝来した文書群。主に明治時代後期の土地証文や役職等辞令を中心に構成されます。ただし、南浜村宛や「南浜村戸長役場」による作成の記録も見られることから、戸長役場文書としての性格が強いものといえます。特筆すべき文書として、村内樹元(下)神社に関連する小野神社郷社昇格規約証(明治23年)、明治14年の波止場大破を契機に結成された「波止場講」の記録類(人別簿・仕法帳)があります。また、明治26年の鋳釜製造に関する誓約書より、安孫子熊次郎家が南浜に居住する和邇鋳物師の一家であったことが判明し、本文書群が戸長役場と鋳物業の双方を架橋する村政・生業史に関する史料として評価できます。

滋賀郡南浜村安孫子家文書

滋賀郡南浜村安孫子家文書



福禄寿図 高田敬輔筆・龍公美賛 絹本墨画 江戸時代 1幅(受贈)

  

 高田敬輔(1674〜1756)は、江戸時代の近江国日野の絵師。本名は徳左衛門隆久で敬輔は号。本資料は、寿老人図としては古風な表現といえます。道服をまとった道士の姿で描かれており、いかにも福々しい七福神の一柱という図像ではありません。ただし、かたわらに白鹿が描かれ、背景に松が描かれるなど、長寿の象徴としての神仙画として描かれています。画賛は、彦根藩儒の龍公美(1715〜92)。

福禄寿図 高田敬輔筆・龍公美賛

福禄寿図 高田敬輔筆・龍公美賛



俳画「禅堂に」 巌谷小波筆 絹本淡彩 昭和時代 1幅(受贈)

  

 巌谷小波(1870〜1933)は、明治・大正の作家、児童文学者、俳人。本名は季雄。創作のみならず童話口演の活動も盛んで、近代児童文学の生みの親でもあります。博文館発行の「幼年世界」、「少女世界」などの主筆となって作品を執筆、さらに「日本昔噺」(1894〜1896年)、「日本お伽噺」(1896〜1898年)、「世界お伽噺」(1899〜1908年)などのシリーズを刊行しました。本作の釈文は「禅堂に動く者あり蝸牛」で、本来なら俳句一行書として揮毫されるべきものですが、蝸牛の語句を大きな絵文字として表し、俳画となっている点が、児童文学者たる小波らしさの出た面白い作品といえます。

俳画「禅堂に」 巌谷小波筆

俳画「禅堂に」 巌谷小波筆



杉浦重剛書状岩垣月洲宛 大正時代 1幅(受贈)

  

 杉浦重剛(1855-1924)は、幕末・明治・大正の儒者・教育家・思想家。父は膳所藩の儒者、杉浦重文。数え年6歳で藩校・遵義堂に入学を許され、高橋正功(坦堂)、黒田麹廬、岩垣月洲に漢学洋学を学びました。本状の宛名の岩垣氏は、少年時の重剛が師事した月洲です。月洲(1808〜1873)は、膳所侯儒者皆川淇園の門人です。岩垣竜渓の遵古堂にも学び、弘化4年、学習所(のち学習院)教授となりました。竜渓の養子東園の死後、遵古堂を継ぎ、岩垣(巌垣)姓を称しました。本状では「岩垣老台」と宛名しており、月洲の最晩年に宛てた書状と考えられます。重剛が著書『巖垣月洲伝』の編集中に資料を返却した旨が記されます。

杉浦重剛書状岩垣月洲宛

杉浦重剛書状岩垣月洲宛



近江国滋賀郡大物村七左衛門家文書 江戸時代 一括(受贈)

  

 発給や宛先から、近江国滋賀郡大物村の七兵衛・七左衛門家に伝わった文書群と推測されます。主に天和年間〜幕末にいたる土地・山林の売券で構成され、年貢免割目録や祭礼定書写しなども含む約60点です。大物村は、近世を通じて幕府領・堀田家領(宮川藩)と推移し、村方との間で多くの文書が送受され、1724点にも及ぶ地方文書は、現在、大物財産管理委員会のもと保管されています。本資料は、そうした共有文書とは異なる家文書でありながら、祭礼(五箇祭)定書にもみられるように、村政・年中行事にもかかわるものであり、貴重な史料群といえるでしょう。

近江国滋賀郡大物村七左衛門家文書

近江国滋賀郡大物村七左衛門家文書



栗太郡第八区戸長役場文書(旧中谷家文書) 江戸〜明治時代 一括(受贈)

  

 栗太郡第八区(大江村、大萱村、新田村、南笠村、新浜村、矢橋村など)の戸長を勤めた中谷家に伝来した文書群約120点です(木箱3箱に入る)。元治元年(1864)〜明治10年(1877)頃の戸長宛ての報告や訴願、また戸長からの通知文の控えなどで構成されます。栗太郡域(一部)の地域行政の実態に迫ることのできる貴重な史料です。

栗太郡第八区戸長役場文書

栗太郡第八区戸長役場文書



大津鍛冶金物仲間釘直段定書 文久元年(1861) 1通(受贈)

  

 文久元年7月に大津鍛冶金物仲間によって定められた本・並・三寸・把釘などの種々の釘値段を定めたものです。大津町の株仲間については、明和年間の一覧には、鍛冶金物仲間は確認できず、嘉永7年(1854)の株仲間再結成前後にもその存在は確認できません。大津の「鍛冶屋仲間」は元禄以前に結成されたといわれていますが(『新修大津市史』第4巻)、「金物仲間」との関係は不明です。いずれにしても、大津町の株仲間の実態を知る上で貴重なものといえます。

大津鍛冶金物仲間釘直段定書

大津鍛冶金物仲間釘直段定書



近江国滋賀郡小野村切支丹宗門御制禁寺請帳 明治時代 3冊(受贈)

  

 明治元年(1868)〜同3年(1870)の滋賀郡小野村(現大津市小野)において作成された宗門人別改め帳。当時の小野村の人口(307人)や男女比、人口動態、さらには屋号や家族構成などを知ることのできる地域史の基礎史料です。

近江国滋賀郡小野村切支丹宗門御制禁寺請帳

近江国滋賀郡小野村切支丹宗門御制禁寺請帳



塚四郎旧蔵資料(観光案内・地図等) 明治〜昭和(戦前) 96点(受贈)

  

 肥前町在住(大津市松本)の塚四郎が所蔵していた関西を中心とした全国各地の観光案内や地図などの資料群です。江若鉄道や近江鉄道が発行した、大正から昭和初期の観光案内が多く含まれています。特に江若鉄道については、大正末から昭和初期にかけて毎年発行された観光案内が数多く含まれ、線路が延伸していく様子が鳥瞰図を比較することで視覚的に理解できます。また、観光案内のいくつかには、自筆の書き込みとして塚や友人が本文の執筆を担当したというメモが記されています。観光案内の執筆者は、原則として無記名であることから、当時の観光案内の製作状況を知る上においても、貴重な資料だといえるでしょう。

江若鉄道沿線案内(塚四郎旧蔵資料)

江若鉄道沿線案内(塚四郎旧蔵資料)


近江鉄道沿線名勝之栞(塚四郎旧蔵資料)

近江鉄道沿線名勝之栞(塚四郎旧蔵資料)



北村輝夫氏収集郷土資料 江戸〜明治時代 一括(受贈)

  

 北村輝夫氏が収集した郷土史関係資料。比良名勝絵葉書や浪花冓定宿帳、近江蕃山会公会堂建設趣意書や大福帳、手習い本(小野小町一代物語・百人一首・女大学など合冊)、大津算盤(天保2年の墨書名有)など多彩ながら、地域資料として貴重なものです。

北村輝夫氏収集郷土資料

北村輝夫氏収集郷土資料



江若鉄道和邇駅資料 昭和(戦後) 一括(受贈)

  

 昭和44年(1969)に廃線になった、江若鉄道の和邇駅で使われていた備品です。出発の合図などに使われる旗や合図燈、単線運転には欠かせないタブレットを運ぶホルダーなどです。廃線後、これらの備品は関係者や、周辺の小学校などがもらい受け、かつて様子を伝える資料として保管していました。

江若鉄道和邇駅資料

江若鉄道和邇駅資料



幻住庵記画賛 中村物赤自画賛 紙本墨画 江戸時代 1幅(受贈)

  

 半切の画仙紙に、松尾芭蕉が、元禄3年(1690)の4月から3カ月半、幻住庵における滞在経験を記した俳文『幻住庵記』が記されています。本作は、猿蓑本の幻住庵記を書写しています。幻住庵は、膳所の門人である菅沼曲翠が提供した曲翠の叔父の草庵(現大津市国分2丁目)。本作ではその全文が詞書きされるとともに俳画が添えられ、幻住庵でくつろいで文机に向かう芭蕉の姿が描かれます。軸装の八双脇には識語が貼付けられていて、作者の情報が判明します。それによると、作者は、中村少兵衛兼郷。身分は士分。俳号は物赤。文化9年(1812)正月14日に87歳没とあります。本作は、19世紀に入ってからの物赤の晩年作とは考えにくく、18世紀の後半の制作と推定されます。

幻住庵記画賛 中村物赤自画賛

幻住庵記画賛 中村物赤自画賛



円満院坊官西坊家資料 江戸〜大正時代 一括(受贈)

  

 円満院門跡坊官西坊家において作成・授受・保管されてきた、江戸時代を中心とした文書群。内容は、坊官としての寺務関係と西坊家関係に大別できます。構成は、(1)日記・諸記録、(2)俳句、(3)土地関係、(4)美術工芸品、(5)西坊家由緒関係、(6)油紙袋整理分に大別できます。内容はいずれも門跡における寺務の実態や江戸時代の園城寺門前のあり様に迫る貴重な資料群で、寺務・家関係・由緒・絵図・交際関係など多岐にわたり、内容の豊富さがうかがえるとともに、西坊家において分類・保管整理が意図的になされた形跡もあり、文書管理史の点からも興味深いものです。

円満院坊官西坊家資料

円満院坊官西坊家資料



福島家資料 明治〜昭和(戦前) 46点(受贈)

  

 安政5年(1858)3月生まれの当時の当主福島栄吉肖像(疋田春湖画)や母肖像を含む、近代資料で構成されます。明治期の当主福島栄次郎が市会議員を務めたことに関わる資料や、土地売買証文、居住していた伊勢屋町に関わる町関係資料、さらには昭和期の当主栄一の出征関係資料など、多様な家関係資料といえます。なお、当家は、江戸〜明治時代にかけて、「近江屋」を用いた米問屋であったといわれています。

福島家資料

福島家資料



車石 江戸時代 1点(受贈)

  

 車石は、文化元年(1804)から翌2年、東海道の大津・京都間に敷設された牛車の通行用の敷石のことをいいます。当初は「敷石」・「輪通り敷石」等と呼ばれ、昭和初年頃から「車石」と通称されました。本資料は、出土地は不明ながら、大津伊勢屋町の米問屋の庭石として設置されたといわれ(家・庭は明治期)、自然にできる轍が両面にあり、片方がすり減った後、裏返して再利用されたことがわかります。

車石

車石



大津市制30周年記念銀盃 昭和(戦後) 1組(受贈)

  

 大津市制30周年を記念して制作された銀杯。関係者に配布されたものと推測できます。杯は大きさ違いで3点あり、それぞれの盃には「大津市制三十周年記念祝賀記念」、一番大きな盃の底には「御即位御大禮記念 造幣局製」の文字が刻印されています。箱にも「造幣局製 御即位御大禮記念盃 大津市制三十周年記念」とあります。大津市制30周年と昭和の御大礼は、いずれも昭和3年だったことから、二つの出来事を祝う記念品として大津市が制作し、関係者に配布したもののだと思われます。

大津市制30周年記念銀盃

大津市制30周年記念銀盃



京阪電鉄大津営業所運輸同友会記念写真帳 昭和 1冊(受贈)

  

 京阪電鉄大津営業所運輸同友会が作成した記念写真帳。序文などから発行の経緯を整理すると、記念誌は、戦時統制にともなって労使協調によって結成された産業報国への移行にともない、同会解散の記念として製作されました。記念誌には、会員全員の顔写真のほか、会社や同友会の概要、施設の写真が収録されています。当時の京阪大津線関係の施設や車両や、戦中に開設されていた緑ヶ丘球場の写真など、昭和10年代の様子がよくわかる資料だといえます。

京阪電鉄大津営業所運輸同友会記念写真帳

京阪電鉄大津営業所運輸同友会記念写真帳