相坂関とも書く。東海道の道筋にあたる逢坂関は、古代から交通の要所とされ、すでに延暦14年(795)に関所の前身ともいえる施設が置かれ、その後、平安時代の中頃には不破・鈴鹿と並ぶ三関の一つとして朝廷に重視されていた。現在大谷町の逢坂山検問所前に関跡碑が建つ。