瀬田川に近い国分の台地上にある。延暦4年(785)、それまで別の地にあった国分寺が焼失した後、国分の地にあった国昌寺(こくしょうじ)が国分寺としての機能をもつことになった。晴嵐小学校から滋賀県職業訓練所付近にかけて平安時代の古瓦が出土する。跡碑が晴嵐小学校内に建つ。