大津の歴史事典
分野:人物
相応
そうおう (831〜918)
平安時代前期の天台僧で、千日回峰行の創始者とされる。天長8年(831)近江国浅井郡の生まれ。俗姓は櫟井(いちい)氏。比叡山に登り、座主円仁について修行をかさねた。相応は験力があったことで知られ、文徳天皇の女御らの病気をいやし、名声を博した。比良山系の西、葛川谷で滝に打たれての厳しい修行の最中、滝壷に生身の不動明王の姿を感得し、これを抱きとったところ一本の霊木であったといい、それを自ら刻んでまつったのが、太鼓まわしで知られる葛川明王院の起源となっている。延喜18年(918)、88歳で没。