大津の歴史事典
分野:人物
今井兼平
いまいかねひら (1152?〜1184)
平安時代後期の武将。木曾(源)義仲の乳母の子で、幼時から義仲に仕えた。治承4年(1180)義仲の平家追討の挙兵以来、各地に転戦し、義仲と運命を共にした。義仲は入京以後、後白河法皇や貴族と対立し、鎌倉の源頼朝から追討軍を出された。寿永3年(1184)粟津の合戦で敗れ、義仲が戦死するとすぐさまその後を追い、壮絶な自刃を遂げた。現在、JR石山駅北側に、膳所藩主本多俊次が建立した兼平の墓がある。
平安時代後期の武将。木曾(源)義仲の乳母の子で、幼時から義仲に仕えた。治承4年(1180)義仲の平家追討の挙兵以来、各地に転戦し、義仲と運命を共にした。義仲は入京以後、後白河法皇や貴族と対立し、鎌倉の源頼朝から追討軍を出された。寿永3年(1184)粟津の合戦で敗れ、義仲が戦死するとすぐさまその後を追い、壮絶な自刃を遂げた。現在、JR石山駅北側に、膳所藩主本多俊次が建立した兼平の墓がある。