大津の歴史事典
分野:人物
明智光秀
あけちみつひで (?〜1582)
生年不詳。美濃国の守護土岐氏の一族で、恵那郡の豪族明智氏の出身といわれる。はじめ越前の朝倉義景、のち織田信長に仕える。元亀元年(1570)の姉川の戦いや堅田攻め等に従軍。翌2年の比叡山延暦寺焼き打ち後には、信長の命により坂本城を築いた。光秀は、武将としてだけではなく儀礼、故実に通じ、連歌や茶の湯を好む教養人でもあった。天正10年(1582)6月2日未明、京都本能寺に信長を倒したが、山崎の合戦で羽柴(豊臣)秀吉に敗れ、小栗栖で土民に襲撃され没した。