石山寺の造営に尽力した奈良時代の僧良弁(689-773)は、2歳の時、鷲に連れ去られて奈良春日社にいるところを義淵に救われたと伝えられ、その後義淵の弟子となって高僧と呼ばれるまでになる。南船路は、この良弁の出身地とされ、氏神八所神社にある五輪塔は、良弁納経の跡と伝える。また南船路では、正月の門松に樒を立てる習慣があり、これも良弁にまつわって仏式を重んじるからと伝えられている。