大津市歴史博物館

大津れきはく源氏物語壁紙 2024

大河ドラマにあわせて『源氏物語』に登場する和歌をあしらった壁紙をつくりました!
壁紙に使われている和歌や登場する帖の解説もあります。
デスクトップ用とスマートフォン用があります。ぜひダウンロードして使ってみてください♪
2か月に1回更新予定です。


源氏物語とは  

 日本古典文学の最高傑作といわれる『源氏物語』。
 その作者は、平安時代中期に生きた女性作家で歌人でもあった紫式部です。
 『源氏物語』は、全54帖を数える長編で、平安時代中期を舞台に、天皇の子として生まれ、才能・容姿ともに恵まれた主人公の光源氏の栄華と苦悩の人生に加え、夕霧や薫といった次世代の人生をも描いています。
 石山寺に伝わる重要文化財「石山寺縁起絵巻」には、『源氏物語』を書くことになったきっかけと伝わる話が次のように記されています。紫式部は当時仕えていた藤原道長の娘彰子から物語の執筆を命じられ、石山寺に籠っていました。7日後、琵琶湖を眺めていると物語の情景が浮かんできましたが、近くに紙がなかったので「大般若経」の裏にその物語を書きつけたといいます。
 また、第16帖「関屋」の場面では大津と京都を往来するための関所、逢坂関が舞台となっており、大津市には石山寺の他にも『源氏物語』や紫式部とゆかりのあるものが多く伝えられています。



11月・12月更新 第54帖 「夢浮橋」

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 薫は横川に赴いて、横川の僧都に浮舟との対面を頼みますが、断られます。そこで、浮舟の弟である小君に手紙を届けさせますが、浮舟は小君と面会することなく、手紙も受け取りません。浮舟と会えなかった薫は、男が浮舟を匿っているのではないかと疑心暗鬼になります。 


和歌紹介

【薫】
法の師と たづぬる道を しるべにて
思はぬ山に ふみまどふかな


横川の僧都を仏法の師と訪ね歩いた道を道しるべとしていたのに、思いもよらない恋の山道に迷い込んでしまいましたよ。

 光源氏が亡くなった後の『源氏物語』は、光源氏の子にあたる薫を主人公とし、特に宇治を主要な舞台となることから、第四五帖「橋姫」から第五四帖「夢浮橋」までの十帖が「宇治十帖」と呼ばれています。和歌は、薫から浮舟(宇治十帖後半のヒロイン)へおくるため浮舟の弟小君に託した手紙にあるものです。入水しようとした浮舟を救った宇治十帖における重要人物で、横川の僧都のモデルといわれているのが、比叡山で修業し、横川の地で隠棲した源信です。源信は、『往生要集』を著し、堅田の浮御堂を建立したと伝わる大津にもゆかり深い人物です。


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9月・10月更新 第41帖 「幻」

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 最愛の女性である紫の上を亡くした光源氏は、季節が移ろっても悲しみに暮れています。十二月末に六条院で行われた仏名会において、光源氏は久しぶりに人前に姿を現しました。その姿は昔よりも一層美しく、そのために老いた導師は涙を流しました。 


和歌紹介

【光源氏】
大空を かよふまぼろし 夢にだに
見えこぬ魂の 行く方たづねよ


大空を行き来する幻術士よ。会いたいと思っても夢にさえ姿を見せない紫の上の魂の行方を探してください。

 紫の上を亡くした光源氏は、春になってもふさぎ込んでおり、女三の宮や明石の君を訪れても、かえって紫の上のことが思い出されて心が癒えることはありません。さらに人恋しい秋となって、光源氏は変わらず紫の上を想い、深い悲しみにくれる心情を表した和歌を詠みました。「まぼろし」は、幻術士のことを指し、亡き紫の上の魂を探し出してほしいと訴えています。


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7月・8月更新 第16帖 「関屋」

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 光源氏が須磨明石より帰京した翌秋、夫の任官に伴い常陸に下向していた空蝉が上京します。その道中、偶然にも逢坂関にて、ちょうど石山寺に詣でる途中の光源氏一行とめぐり逢います。その後、夫に先立たれた空蝉は、継子である河内守からの好意を厭い、出家することになります。


和歌紹介

【空蝉】
逢坂の 関やいかなる  関なれば
繁きなげきの 中をわくらん


逢坂関は、「逢」というのにあの人には会えず、生い茂る木をかき分けるように、私は嘆きの中を分け入らなくてはならないのでしょうか。

 第16帖「関屋」には、光源氏がかつて逢瀬のあった空蝉と、逢坂関で再会する場面が描かれています。和歌は空蝉から光源氏へとおくられたもので、「(人に)逢う坂」だというのに、光源氏と「逢う」ことが叶わない自身の嘆きを表現しています。道をふさぐように生い茂る木々が、空蝉の不安や嘆きを象徴しています。


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5月・6月更新 第12帖 「須磨」

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 朧月夜との逢瀬が右大臣に露見し、弘徽殿大后の逆鱗に触れた光源氏は、情勢の悪化を恐れ、周囲の人々に別れを告げて須磨へと退去します。須磨に到着し、悲しみに満ちた生活をしていた光源氏は、娘の斎宮について伊勢へと下向していた六条御息所と文を送り合います。また、年が明けて春になると彼を見舞うべく、親友の三位中将が訪れました。祓の最中に暴風雨に遭い、さらに奇怪な夢をみた光源氏は須磨を去りたく思います。


和歌紹介

【六条御息所】
うきめ刈る 伊勢をの海人を 思ひやれ
もしほたるてふ 須磨の浦にて


海藻を刈る伊勢の海人のように、憂き目に遭っている私を思い遣ってください。私と同じように、藻塩を取り涙を流すという須磨の浦で。

 娘の斎宮について伊勢へと下向した六条御息所から光源氏へと宛てたものです。「伊勢をの海人」は六条御息所を指し、「うきめ」は「憂き目」と「浮き布(め)=(水面に浮いている海藻)」とをかけています。
 『源氏物語』の注釈書「河海抄」(室町時代成立)には、『源氏物語』は石山寺にて「須磨」の帖から書き始められたという伝承が記されています。石山寺から遥々と見渡せる琵琶湖の風景に壮大な長編物語の着想を得たのでしょうか。


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3月・4月更新 第5帖 「若紫」

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 光源氏は瘧病の療養のために訪れた北山にて、藤壺によく似た少女を垣間見ます。その少女こそ後の紫の上です。以降、光源氏は彼女に執心し、連れ出すことに成功します。また光源氏は、一時的に退出した藤壺と逢瀬を遂げ、藤壺は懐妊します。


和歌紹介

【光源氏】
手に摘みて いつしかも見む 紫の
ねにかよひける 野辺の若草


この手に摘み取って、すぐにでも私のものにしたい!藤壺にゆかりのある若紫を。

 光源氏は、幼い頃に亡くした母、桐壺更衣によく似た憧れの女性である藤壺に執心しています。ある時、北山の聖を訪ねた光源氏は、藤壺とよく似た少女(紫の上)を垣間見ました。彼女は藤壺の姪にあたり、光源氏は紫の上に興味を抱きました。
 「紫」は紫草のことで、その根からは紫(藤)色の染料ができることから藤壺のことを、「若草」は紫の上を例えています。「ね(根)にかよいける」はこの二人が血縁関係にある事を意味しています。恋い慕う藤壺の血筋をもつ紫の上を、早く手に入れたいという願望が表現された歌です。


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1月・2月更新 第1帖 「桐壺」

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 桐壺帝の寵愛を受けた桐壺更衣は、他の后からの嫉妬による嫌がらせを受けて病んでしまい亡くなります。残された皇子は臣籍に降り、源の姓を賜ります。彼こそが光源氏です。光源氏は12歳で元服の後、左大臣の娘である葵の上と結婚する一方で、亡き母に似た藤壺を密かに思慕するのでした。


和歌紹介

【桐壺帝】
いときなき はつもとゆひに 長き世を
ちぎる心は 結びこめつや


幼い我が子が初めて髪を結う紐に、我が子とあなたの娘が末永く夫婦になるように、と約束する気持ちを込めましたか?

 光源氏の父である桐壺帝が左大臣にむけた歌で、『源氏物語』の始まりとなる第一帖「桐壺」に登場します。光源氏が元服する時、初めて髻を結う元結に、左大臣の娘(葵の上)と末永く夫婦となるよう約束の気持ちをこめましたかと問いかけています。その後、光源氏は帝の意向通り葵の上と結婚し、波乱の結婚生活を送ることになるのです。


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