日本を代表する浮世絵師、歌川広重の作品をアレンジした壁紙です!
館蔵品の広重作品から、東海道屈指の人口を誇った大津宿を描いたものを選びました。
ぜひダウンロードして使ってください。
(2022年1月〜12月に更新したものです。当初は、PC向けでカレンダー付ver.がありましたが、現在はカレンダー無しに差し替えています。)
八町通りの旅籠街を題材にしています。大津宿の繁華街で、旅籠がひしめく場所だけあり客引きも必死です。
このシリーズは名所風景ではなく人物がメインに描かれていることから、人物東海道として知られています。
(大津市歴史博物館図録,2015年,『広重の旅 浮世絵・近江・街道』参照)
琵琶湖の東西を一直線に結ぶ湖上水運。その船着場である石場付近を描いたと思われます。陸揚げされた船荷を運ぶ人足や京都方面へ急ぐ旅人が行き交い、当時の賑やかな大津の様子がわかります。
「君が代のたからを積みて門出の 仕合よしといさむうしかひ 常盤園松成」という狂歌が添えられており、狂歌入東海道とも呼ばれています。
(大津市歴史博物館図録,2015年,『広重の旅 浮世絵・近江・街道』参照)
遠方にみえる家並みとの位置関係から、石場の船着場付近を描いたと思われます。軒先の板戸の看板には、大きく「御酒肴 名物源五郎鮒 御仕度」の文字が。
江戸時代に完成した滋賀県の地誌『近江輿地志略』(享保19年,1734年)にも次のように紹介されています。「近世は茶店軒を並べ酒肴を調へて旅人にひさぐ、旅人もまた湖魚の名産を賞して必ここに憩息す」。
どうやら石場のはずせない名物だったようです。
(大津市歴史博物館図録,2015年,『広重の旅 浮世絵・近江・街道』参照)
逢坂峠の茶屋では、名水「走井(はしりい)」が、峠越えで汗だくになった旅人を癒します。「走井」とは水が力強くほとばしる井戸水の名称。その名水でこねられた走井餅がこの茶屋の名物でした。
絵を見ると牛車(うしぐるま)が店の前を通っていますが、実は店の前の道は歩行者専用道でした。牛車は実際には、さらに手前に設けられた牛車専用の車道を通行していたのです。車道には、牛車の車輪がぬかるみにはまらないよう、石(車石)が敷かれていました。しかし広重は、牛車を逢坂峠の風物詩だと考えたのでしょう。あえて店の前へ描き込んだようです。
(大津市歴史博物館図録,2015年,『広重の旅 浮世絵・近江・街道』参照)
旅籠が軒を連ねる繁華街「八町通り」の街並みです。街道の坂道を下った先は、琵琶湖が広がる絶景!
本図で「木曽海道六拾九次之内」は最終回となるので、作品のあちこちに完結のお祝いと、ヒット祈願のメッセージが込められています。
たとえば、画面右の旅籠の軒下には「まる金」(錦樹堂か)の行灯や、「全」(シリーズ完結)の大きな文字。また、左側の旅籠にも、「いセり・大当」の行灯や「大吉」などの釣り看板がかかっています。
広重のシンボルマークの「ヒロ印」もあるので、ぜひ探してみてください。
(大津市歴史博物館図録,2015年,『広重の旅 浮世絵・近江・街道』参照)
元の絵は、「大津絵」を売っている店のようすが描かれた作品です。鬼の看板が目立っていますね。
この作品は、『東海道名所図絵』の挿図「大津絵の店」を種本にして、広重が見た店の様子も盛り込んでいます。大津絵は江戸時代の初め、逢坂峠の西側、追分から大谷あたりで売られ始め、旅人のお土産として人気でした。
店の前では、今しがた大津絵を買った旅人が、表装もないままにくるくる巻かれた作品を店員から受けとっています。店の中には、値段がお手頃な大津絵を、それでも真剣にどれにしようか迷っていている人がいます。手前では、喧嘩でしょうか。暴れている人をなだめている女将さんはいたって平常心のように見えます。
このように、広重の旅路の観察眼によって、にぎわう街道の様子がわかる楽しい作品です。右下のお店の暖簾には、こっそり広重のマーク「ヒロ印」もあります。