近江の国は、神像、仏像の宝庫と呼ばれています。それは、比叡山延暦寺や園城寺、日吉大社をはじめとした全国的に著名な大寺院、大社が数多く鎮座していることと無関係ではありません。都と地理的に近く、歴史的な役割を長年担ってきたこれらの寺社があるからこそ、各時代の最新で最高峰の宝物が造られてきたのです。
今回、信楽のミホミュージアムと、瀬田の滋賀県立近代美術館、そして当館が連携して、「神仏います近江」展を開催します。三館合同でこの豊かな近江の神仏の宝物を展示します。
近江の寺社のなかでも、日吉の神々は、延暦寺の守護神として崇敬をうけ、神と仏が融合した独特の世界を作ってきた社として知られています。この神々を祭る「山王祭」は、湖国を代表する勇壮な春祭りで、日吉の神々が、里に幸いをもたらすべく、一カ月半に及ぶ行事が展開します。その姿は、湖と山々が織り成す景観とあいまって人々を魅了し、絵画の画題にも取上げられ、多くの作品が残されてきました。
本展は、「神像」と「祭」の二部構成からなっています。第T部では、まず近江に伝来する神像を展示し、様々な神々のすがたを紹介します。めったに目にすることの出来ない神の姿を堪能できるでしょう。さらに「日吉の神」の姿を、神像と山王曼荼羅からみていきます。そして、第U部では、日吉社の歴史を紐解くとともに、江戸時代の山王祭にかかわる作品を中心に、人々が神々に捧げてきた祭への情熱の一端を紹介します。
われわれ日本人は自然の中に、知識や想像を超える超自然的なものを感じ、「カミ」の存在を信じました。この神は姿を現さないことが多いのですが、人格化したご神体として表した像を「神像(しんぞう)」と呼びます。神像は、通常は社殿奥深くお祀りされていますので、その姿を拝することはめったにできません。今回はそのような神像をずらりと並べます。
重要文化財 木造女神坐像 大津市・建部大社蔵 |
重要文化財 木造男神坐像 栗東市・小槻大社蔵 |
重要文化財 木造男神坐像 東近江市・竹田神社蔵 |
■重要文化財 木造女神坐像(大津市・建部大社蔵)〈平安時代〉
建部大社は、近江国庁に近接して鎮座する近江国の一宮です。額が広く、下膨れの顔に、大きめの眼は半眼でやや眠たげで、鼻は小さく上品です。最も特徴的なのが、和装で大きく右袖を表し、口元を隠すところです。我々に容易には姿を見せないという本来の神の在り方を暗示し、それによりおしとやかな女性性を感じさせて本像の最大の魅力となっています。近江でもっとも著名な女神像の一体です。
■重要文化財 木造男神坐像(栗東市・小槻大社蔵)〈平安時代〉
小槻大社は栗東市下戸山に鎮座し、『延喜式神名帳』に名を残す式内社です。大きくて高い巾子(こじ 髪を入れて固定する筒状のもの)の冠をかぶり、四角い面相部に、眉尻と目尻を上げるなど、憤怒の相を表しています。袍(ほう)を着け、胸前で拱手(きょうしゅ)して笏(しゃく)をとる姿です。短躯で安定感があり、たいへん上品な作風を持っています。
■重要文化財 木造男神坐像(東近江市・竹田神社蔵)〈平安時代〉
東近江市(旧蒲生町)鋳物師に鎮座する竹田神社は、『延喜式神名帳』に載る菅田神社に比定され、寛仁元年(1017)に今の地に遷座したといいます。本像は、大きめの頭部に表される表現が特徴的です。特に、頭にかぶる布や独特の表情、個性的な着衣、さらには類例の少ない手を膝に置く姿勢などと、近似する作例がみあたらず、孤高の神像です。一木から彫出し、翻派式衣文や鋭いノミさばきなどは、平安初期の檀像彫刻に一脈通じる表現といえ、平安初期から中期頃の造像である可能性があります。
滋賀県指定文化財 木造女神坐像 栗東市・金勝寺蔵 |
滋賀県指定文化財 木造神像 長浜市・春日神社蔵 |
滋賀県指定文化財 木造僧形男神坐像 彦根市・本隆寺蔵 |
■滋賀県指定文化財 木造女神坐像(栗東市・金勝寺蔵)〈平安時代〉
湖南の霊峰、金勝山(こんぜやま)に所在する金勝寺(こんしょうじ 大菩提寺)は、奈良時代に東大寺建立で活躍した良弁の旧跡を、弘仁年中(810〜24)に興福寺僧願安が復興した寺院といいます。面相部は丸くふくよかな表情を表し、体部は如来像のように大きく胸をはだけて肉身がV字に表され、豊満な胸を見せています。着衣は上半身を単(ひとえ)1枚のみとし、通常の和装の女神のように袿(うちぎ)を重ねて着けないのは珍しい表現です。平安中期頃の造像と思われ、近江を代表する女神像の1体として著名な像です。
■滋賀県指定文化財 木造神像(長浜市・春日神社蔵)〈平安時代〉
長浜市(旧高月町)宇根に鎮座する春日神社は、『延喜式神名帳』に載る乎弥神社に比定されています。当社には4体の神像が伝わっていて、そのうち本像は頭部が小さいプロポーションを持ち、大きく首を前に出してかしげる姿は独特です。頭部は大きく髻を結いあげ、それを囲うように宝冠を巡らしており、唐装で、両手を衣で包み、拱手して笏を執る姿も個性的です。類例のない珍しい神像です。
■滋賀県指定文化財 木造僧形男神坐像(彦根市・本隆寺蔵)〈平安時代〉
本隆寺は、彦根市石寺町に所在する浄土真宗本願寺派の寺院で、本像は地蔵菩薩として伝来しました。伝承によれば、2キロ東南にそびえる荒神山の奥山寺から明治時代にもたらされたといいます。本像の姿を見てみると、長方形の頭部に、円頂で、首に三道をきざみ、内衣と覆肩衣、袈裟をまとっています。ここまでは地蔵菩薩もしくは出家した僧のようにもみえますが、袖先をまくって手首まで表に出し、左手を下に右手を上にして、腹前で笏を持つ姿をしています。笏を持つという神像の図像的特色をあわせもつところが最大の特色で、姿は仏像であすが、しぐさが神像というおもしろい像なのです。
近江八幡市指定文化財 木造女神坐像 近江八幡市・日牟礼八幡宮蔵 |
甲賀市指定文化財 木造男神像 甲賀市・矢川神社蔵 |
甲賀市指定文化財 木造女神像 甲賀市・矢川神社蔵 |
■近江八幡市指定文化財 木造女神坐蔵(近江八幡市・日牟礼八幡宮蔵)
日牟禮八幡宮は、正暦二年(993)、現在の八幡山の山上に宇佐八幡を勧請したことで知られ、寛弘2年(1005)に山下にも造営したといいます。現在は、豊臣秀次による八幡山城の築城のため、山下に合祀しています。当社には多くの神像が伝来しており、 そのうちの本像は、頭部に突起のある珍しいかぶり物をし、頭髪は正面で左右に分け、ふくよかな顔のつくりとなっています。下に張袴(はりばかま。胸に上端が見える)をつけ、単(ひとえ)を着し、両手を屈臂して持物(亡失)をとるしぐさをしています。全体に細長い作風であり、坐る膝の張りもほんのわずかに表すのみで、丸太の木材から彫出した雰囲気を醸し出しています。針葉樹の一木造りで、平安中期頃の作風を示しています。
■甲賀市指定文化財 木造男神像(甲賀市・矢川神社蔵)〈平安時代〉
甲賀市を流れる杣川の近く森尻(旧甲南町)に鎮座する矢川神社は、『延喜式神名帳』に載る古社です。この地は『造石山院所解』(正倉院文書)にでてくる「矢川津」があり、東大寺大仏造営のための「甲賀杣」の木を、ここから杣川を通じて奈良に供給していた物流の中心地でした。この川の神として祀られたのが当社であり、古い神像が伝来しています。
本像は、大きく広がる眉に、ぱっちり見開いた目を表し、口を固く結ぶ表情は森厳です。頭部は鋭角な彫りを表す一方、体部はノミ跡のみで衣文を省略しているさまは、木材より神の姿が出現している様子を表しているようで、まさに杣川の神にふさわしい造形と言えます。作風から平安中期頃の造立かと思われます。
■甲賀市指定文化財 木造女神像(甲賀市・矢川神社蔵)〈平安時代〉
本像は女神の坐像ですが、顔が丸いままで何も彫刻されていなく、一見してのっぺらぼうを思い浮かべる方も多いでしょう。髪の毛が左右に分かれて、胸前に垂れているところ以外は細部が確認できません。しかもノミ跡を荒く残す、いわゆる「鉈彫り」で表されています。おそらく木材から神が姿を現しつつあるさまを表しており、顔が表れる前の表現であり、頭部の輪郭がようやく出てきた段階とみることが出来ます。
木造男神坐像 甲賀市・八坂神社蔵 |
木造男神立像 栗東市・大宝神社蔵 |
滋賀県指定文化財 木造世代大明神坐像 長浜市・鶏足寺蔵 |
■木造男神像(甲賀市・八坂神社蔵)〈平安時代〉
甲賀市水口町嶬峨(ぎか)に鎮座する八坂神社は、素盞鳴尊(すさのおのみこと)を祀る神社で、かつては「牛頭天皇社」「嵯峨大宮」などと呼ばれていました。また、境内社の川枯社(かわかれしゃ)は、『延喜式神名帳』に名を載せる川枯神社とみられており、この土地の開拓神を祀っています。本像は、最近発見された像で、通例の男神の姿ですが、表面はノミ跡を荒く残す「鉈彫り」で表し、頭部は眉と瞼、黒目、ひげ、耳の輪郭、髪際を墨線で描き、冠と頭髪は薄墨を塗っています。
本像でとくに興味深いのが、背面に像底から大きく洞(うろ)があるところです。おそらく造立当初からのもので、このような霊なる木をあえて使用したと思われます。本像の墨線によるアイラインの入った表情は独特で、当社に残る他の11体の神像とあわせて個性的な神像群を形成しています。
■木造男神立像(栗東市・大宝神社蔵)〈平安時代〉
大宝神社は栗東市綣(へそ)に鎮座し、大宝年間(701)に疫病が流行した際に降臨したといい、大宝天王宮と呼ばれて牛頭天皇を祀っています。現在、当社には平安時代から室町時代にかけての多数の神像が伝来しており、深く根強い信仰の様子がうかがわれます。社宝の木造狛犬は鎌倉時代の優品で、我が国を代表する狛犬として著名です。
本像は、面長の顔に、大きく目尻を上げ、横に広がる鼻と口を表すも、あごひげは小さくされています。頭部は極めて奥行きが深く、長大な耳を後方に表すことで、さらに頬が広くなり、個性的な相貌の像となっています。衣文は袖に少し表すくらいでほぼ省略していますが、袖口には折り返しを表してやや装飾的にしています。一木より彫出し、重量感ある作風のなかで、おとなしさ感じられる所から、平安中期ごろの造像と思われます。
■滋賀県指定文化財 木造世代大明神坐像 十所権現のうち(長浜市・鶏足寺蔵)〈平安時代〉
長浜市(旧木之本町)に所在する鶏足寺は、文化財の多い湖北地域の中でも、大変数多くの仏像、神像が伝来することで著名です。
本像をよくみてみると、頭部には螺髪と肉髻があり、さらに首には三道を刻んでいることから、仏像の如来の姿と同じであることがわかります。しかし、手を衣に包み胸前で拱手する姿は神像によくあるものです。ですから、頭部は仏像、体部は神像という習合の姿を表しているのです。
滋賀県指定文化財 木造日吉大宮坐像 十所権現のうち 長浜市・鶏足寺蔵 |
重要文化財 木造僧形神坐像 大津市・地主神社蔵 |
■滋賀県指定文化財 木造日吉大宮坐像 十所権現のうち(長浜市・鶏足寺蔵)〈平安時代〉
本像は、日吉神の使いとされる猿の姿で、日吉社の主神である「大宮」を表しています。おそらくは、春日社を鹿、稲荷社を狐とイメージするような感覚で、日吉社全体を猿の姿でイメージ的に表したと思われます。他に類例がなく大変興味深い作例です。
■重要文化財 木造僧形神坐像(大津市・地主神社蔵)〈平安時代〉
大津市葛川坊村に鎮座する地主神社には、八体の重要文化財の神像と、思古淵大明神(しこぶち)坐像(室町時代)が伝来しています。平安時代に天台回峰行の祖で比叡山の南山、無動寺の開祖である相応和尚がここで修行を行い、三の滝に飛び込んで生身の不動明王となったといわれています。そして不動明王を安置するために建立したのが明王院で、その鎮守社が本社です。後に延暦寺の影響で、日吉山王権現が勧請されました。
本像は、僧形神の坐像で、円頂で首に三道を刻み、内衣と横被、袈裟を着けており僧形の形をしています。ところが、腰前において左手で笏(先は亡失)を握り、右手を下端に添えていて、神像の姿勢をしています。伝承通り日吉大宮ならば、山王曼荼羅などではいまだ確認できない、「笏を持つ僧形像」という形式で、たいへん興味深い像といえます。
「比叡山」の神、「ヒエ(比叡)のカミ」は「ひよっさん(日吉さん)」ともよばれ、比叡社(日吉社)に祀られました。現在の坂本の「日吉大社(ひよしたいしゃ)」が総本宮です。そして「ヒエ(比叡)のカミ」が神仏習合の時には「山王権現(さんのうごんげん)」とも呼ばれていました。「日吉山王」とは、比叡社(日吉社)と延暦寺とが混然一体としてなり、神の山「比叡山」として創り上げられた信仰の象徴的な呼び方なのです。
そして、比叡山にましますホトケとカミを、混然一体として天台の論理で描いたものが、「日吉山王曼荼羅図(ひえさんのうまんだらず)」で、その形式から、@「宮曼荼羅図(みやまんだらず)」、A「本地仏曼荼羅図(ほんじぶつまんだらず)」、B「垂迹神曼荼羅図(すいじゃくしんまんだらす)」などがあります。
大きく鳥瞰図的に神社の風景を描いた絵です。それは単なる神社の風景画ではなく、「宮曼荼羅(みやまんだら)」と呼ばれています。
宮曼荼羅は、実際に社殿を訪れず、在宅にてこれを掛けて拝み、実際に参拝したことと同じ効用が期待されたという働きがあるようです。この曼荼羅を見ることで、事細かく山王社頭を想像し、ヒエのカミのいます風景を思い浮かべ、そのことで親しく神々に接して帰依するのです。実際に現地に行かずとも、その霊験は確かなわけなのです。
重要文化財 絹本著色日吉山王宮曼荼羅図 奈良市・大和文華館蔵 |
重要文化財 絹本著色日吉山王宮曼荼羅図 東近江市・百済寺蔵 |
絹本著色山王宝塔曼荼羅図 京都市・大谷大学博物館蔵 |
■重要文化財 絹本著色日吉山王宮曼荼羅図(奈良市・大和文華館蔵)
日吉社の社頭に上七社を中心とした社殿を大きくバランスよく描いています。各社殿にはそれぞれの神の本地仏を大きな円相の中に描き、本地仏が社殿内に浮かび上がって現われた姿かもしれません。この本地仏円相の表現は、本図が宮曼荼羅の形をとりつつも、本地仏曼荼羅の要素が多分に多く含まれていることを物語っています。
■重要文化財 絹本著色日吉山王宮曼荼羅図(東近江市・百済寺蔵)
本画は、社景の中に社殿は描かず、本地仏と垂迹神をいり混ぜて描いています。上七社の本地仏を大きく金色に表し、寄り添う形でそれ以外の垂迹神などを加えています。配置はほぼ現実の社殿に則していますが、東本宮系を上(西)にあげることで、全体に円形に近い配置となり、より上七社が一体となった印象与えるようになっています。比叡山の霊山的なイメージを優先した観念的な絵となっています。
■絹本著色山王宝塔曼荼羅図(京都市・大谷大学博物館蔵)
本図は三場面に分かれ、上部には日輪の下の山中の様子、真ん中には大きく宝塔を描き、その四方に四天王を配しています。そして下部には、半島に大きな松を描く、「唐崎」を表していますが、これによって本図が山王曼荼羅であることがわかります。日吉社頭の宝塔をメインに描いた曼荼羅です。
インドのホトケさまが変身して「ヒエのカミ」として近江国滋賀郡に鎮座したということですから、ホトケの姿で表すのが最もダイレクトで正確です。この場合、本来の姿の仏、という意味で「本地仏(ほんじぶつ)」と呼ばれています。見た目は当然ながら、普通の仏像となんら変わりはありません。社殿の中で、神様のような顔をして坐っているのです。
「本地仏」の群像が、そのまま神像の姿に表される曼荼羅があります。その神とは、「ヒエのカミ」に他ならないのですが、本地仏からみた神のことを「垂迹神(すいじゃくしん)」と呼んでいるため、この曼荼羅も「日吉山王垂迹神曼荼羅図」と呼ばれています。一つの社殿にヒエの神々が参集している様を描いています。
重要文化財 日吉山王垂迹神曼荼羅図 大津市・西教寺蔵 |
絹本著色日吉山王垂迹曼荼羅図 山王講・蔵之辻伴蔵 |
絹本著色日吉山王十禅師曼荼羅図 東京都・真如苑蔵 |
■重要文化財 日吉山王垂迹神曼荼羅図(大津市・西教寺蔵)
上下三区画に分かれ、上部には北斗七星が、下部には唐崎の情景を描き、そして中心に社殿内の山王権現の様子を描いています。本殿内は、赤衣に宝冠をかぶる唐装の大宮を中心、上七社の神像を配しています。そして外陣の手前には門番神である早尾と大行事を置き、その上の中心には団扇を胸前で持つ女神「聖女」と、向かって右には束帯で正笏姿の男神像「下八王子」、左には稚児神「王子宮」を加えています。本画は薫煙で画面が見にくくなっていますが、精緻で上質な筆致と彩色が施されており、鎌倉時代の作と思われます。唐装の大宮の図像や、北斗七星など、道教的なコンテンツも多分に有し、比叡山に現存する垂迹神曼荼羅としては最も古く、かつ謎の多いものといえます。
■絹本著色日吉山王垂迹曼荼羅図(山王講・蔵之辻伴蔵)
坂本の山王講、蔵之辻伴で使用されている10社の垂迹神を描く曼荼羅です。内陣に上七社、回廊部に早尾・大行事に加えて、中心に赤い衣を着し、衣冠束帯に正笏姿の「赤山明神」を描いています。大宮の後屏には、波上に神仙的な山、さらに月らしき大きな星と北斗七星、カシオペア座などが描かれています。また、右上の八王子の姿が童子の姿なの珍しい表現です。非常に繊細な描線や彩色、金泥の使用法は素晴らしく、鎌倉時代の作画と考えられます。100本ほど現存する坂本地域の山王曼荼羅でも最も古く、かつ上出来で、さらに保存もいい作例といえます。
■絹本著色日吉山王十禅師曼荼羅図(東京都・真如苑蔵)
本図は大きく3つの区画からなっています。中央に社殿内に坐す僧形神と虚空の円相の中に地蔵菩薩の坐像、上部の区画には山と北斗七星の風景を、下の区画には波に囲まれた白洲に生える松の巨木、つまり大宮が上陸した聖地「唐崎」を描いています。
社殿の僧形神は、虚空に描かれる本地仏の地蔵菩薩から、本像は日吉社の東本宮に鎮座する「十禅師」神であることがわかります。十禅師は数多くいる日吉神のなかでも、独自の信仰があることが知られていますが、本図のように十禅師の垂迹神の姿一体だけを描くものは、管見の限りにおいては他に例がなく大変珍しい山王曼荼羅です。
■山門三塔坂本惣絵図(東京都・国立公文書館内閣文庫蔵)〈江戸時代〉
明和4年(1767)に「比叡山延暦寺山上山下御由緒」と一緒に寺社奉行に提出されたと考えられる絵図です。縦190p、横280pの大きな絵図で、一鋪には東塔・西塔、そして高瀬川沿いに八瀬から一乗寺までが、もう1鋪には横川と坂本・下坂本が描かれています。絵図中では、山林や田畑、湖水などがそれぞれ色分けされ、また各堂舎や名所・旧跡など、他に類を見ない寺社や門前領の情報が盛り込まれ、大変貴重な絵図といえるでしょう。
■山王祭礼図(京都府・泉屋博古館蔵)〈江戸時代〉
山王祭礼図 京都府・泉屋博古館蔵(部分) |
山王祭礼図 京都府・泉屋博古館蔵(部分) |
■山王祭礼図(東かがわ市・與田寺蔵〉〈江戸時代〉
山王祭礼図 東かがわ市・與田寺蔵 |
■日吉山王祭礼貼交屏風(個人蔵)
日吉山王祭礼貼交屏風(部分) 個人蔵 |
日吉山王祭礼貼交屏風(部分) 個人蔵 |
神輿額 大津市・日吉大社蔵 |
現在の山王祭 山口幸次氏撮影 |
展覧会期間中、作品の展示替えを行ないます。以下の展示作品一覧に、展示替え予定を掲載しておりますのでご確認ください。なお、所蔵者のご都合等により、急遽展示替えを行なう場合がございますので、あわせてご了承ください。
【展示作品一覧(展示替え情報含む・予定)がダウンロードできます。】
企画展「日吉の神と祭」展示品一覧.pdf 【PDFファイル、227KB】 |
三館連携企画「神仏います近江」展、3会場共通図録です。
展覧会をより深くご理解いただくため、期間中さまざまな講座を開催いたします。
詳しくは、講座・講演会情報をご覧下さい。
タイトル | 三館連携特別展 神仏います近江 大津会場 日吉の神と祭 |
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会期 | 平成23年 10月8日(土)〜11月23日(水・祝) |
期間中の休館日 | 10月11日(火)、17日(月)、24日(月)、31日(月) 11月4日(金)、7日(月)、14日(月)、21日(月) |
会場 | 大津市歴史博物館 企画展示室A・B |
主催 | 神仏います近江展実行委員会・京都新聞社 |
後援 | NHK大津放送局・BBCびわ湖放送・E-radio・エフエム京都 |
特別協力 | 湖信会・しがぎん経済文化センター・滋賀県神社庁・滋賀県立琵琶湖文化館・数珠巡礼会・比叡山延暦寺・日吉大社・びわ湖百八霊場会 |
観覧料 | 一般1,000円(800円) 高校・大学生500円(400円) 小中学生 無料 ※( )内は、前売、15名様以上の団体。および、大津市内在住の 65歳以上の方、大津市内在住の障害者の方の割引料金(証明するものをご提示ください)。 ※各館の観覧券の半券持参者は、団体割引適用 |
前売券 | 前売券は、大津市観光案内所(大津駅・石山駅・堅田駅前)、大津市民会館、ローソンチケット(Lコード:57717)をはじめ、京阪津地区の主なプレイガイドで9月15日から発売。 |