江戸時代、大津の港に荷揚げされた米などの物資は、牛車(うしぐるま)によって東海道を京都まで運ばれていました。しかし当時の街道は土道だったので、雨が降れば牛車の車輪が泥道に埋まり、思うように通行ができませんでした。そこで、今から約200年前、牛車の車輪がぬかるみにはまらないよう、大津−京都間3里(約12km)の道に、両輪の幅に合わせて2列に石を敷くという、一大土木工事が実施されたのです。敷かれた石には、頻繁な牛車の通行によって擦り減り、U字型の凹みが残されました。その石がいつの頃からか「車石」と呼ばれるようになったのです。この車石は、今も街道沿いの各所に残されており、江戸時代の卓越した街道政策を今に伝える貴重な文化財といえるでしょう。
本展は、当館と市民研究会である「車石・車道研究会」の共同で作り上げた成果の発表の場です。それぞれの情報を出し合い、企画段階から議論をかさね、展示資料の選択、現地調査、地図やパネルの製作といった作業を共同で進めてきたという点では、当館にとって初の試みと言えます。 展示資料は、初公開の街道絵図を始め、浮世絵、絵馬や高札、古文書、古写真など、車石に関する様々な資料を展示します。
同研究会は、東海道大津−京都間の車石敷設200周年を契機として平成17年(2005)に結成された市民研究会。京都・大津の市民を中心に、江戸時代の車石と車道について、さまざまな視点から調査・研究・普及活動を展開されています(会員数70名)。
かなり長い巻物で、縦30.3p、長さは14.6mもあります。その末尾に、逢坂峠から北側を幅23.2p、長さ180pの紙を直角に貼り付け、また蹴上(けあげ)付近も紙を継ぎ足すなど、屈曲した東海道のルートを忠実に再現しています。原題は「文化元甲子(きのえね)年東海道筋大津より京都迄往還並牛車道共難場之分道造絵図」で、置土(おきつち)の区間、車石の設置区間、輪形割石伏せの区間(牛車の轍跡をならすための処置)などが色分けされています。ただ、あくまで施工前の計画図面であるため、実際に施工された状況と相違する点が多々ありますが、江戸時代の街道整備のなかで、さまざまな工法が予定されていたことが分かり、貴重な絵図であることは間違いありません。写真は上片原町(かみかたはらちょう)の部分で、図中の梯子状の表現が、車石の敷設予定箇所と考えられます。
上片原町は、現在の逢坂一丁目、関蝉丸神社上社付近の東海道沿いに開かれた町で、先の「大津・京都間道造絵図」で掲載した写真と同じ場所にあたります。図中に「車道九尺」と記されたところが車道です。なお、図の上方に記された「阿弥陀堂」の背後には、江戸時代、犯罪人の「成敗場」があったことが、元禄時代の『淡海録』という記録に出ています。この絵図は現在のところ、逢坂山における車道の存在を示す最古の資料と言えます。
日岡峠(ひのおかとうげ)と逢坂峠は、東海道大津・京都間の二大難所でした。図面は逢坂峠の掘下げ工事に際して作成された計画図で、「○丈○尺掘下ケ」といった文字が記されています。
木曽海道とは中山道(なかせんどう)のことです。江戸時代末期の有名な浮世絵師・歌川広重が描いた大津宿の場面で、京都から逢坂峠を越えて大津宿に入ったところ、いわゆる八町通(はっちょうどおり)の旅籠屋街です。画面に車石は描かれていませんが、街道を往来する旅人とともに、左手に荷物を満載した牛車が見えます。車を引く牛は藁で編んだようなものをかぶっていますが、これは牛の暑さ対策の一つです。
名所図会に掲載された挿絵は、編者が実際に現地調査をしていると考えられ、挿絵も現実の風景に近いと思われます。上図は逢坂山の車道と人馬道が分かれた箇所です。牛車の進む車道には、人馬道と段差が設けられていたことが分かります。
当初は京都、八幡、宇治の広域的な冊子となるはずでしたが、東山の部しか刊行されませんでした。同書に掲載された挿絵の中には、車石上を進む牛車の絵が描かれています。車石を描いた貴重な資料です。
大津・京都市内には、車石を紹介する実物展示が各所にあります。また、当時の街道沿いには、役目を終えた車石が、写真のように基壇や民家の石垣など、様々な形で再利用されています。これらは、車石・車道研究会において、丹念に調査・記録しています。展示では、東海道沿いの史跡や車石の残存状況を記入した地図や写真パネルで紹介します。
ここでは、東海道大津・京都間の車道や車石の関係資料を紹介しましたが、竹田街道の車道に関する資料の他、鳥羽街道の車道を描いた長大な絵図(全長18m)、車石の上を進む牛車の立体模型、伏見人形として制作された牛車なども展示する予定です。また、車石や街道修路碑などの拓本、車石の残存状況を記入した地図など、様々な手法によって車道と車石の全体像を紹介します。
1 大津ー京都間の車道と車石 |
大津・京都間道造絵図 文化元年(1804) 本館蔵 |
東海道分間絵図 宝暦2年(1753) 本館蔵 |
朝鮮人来朝二付大津道筋伺書 延享5年(1748) 本館蔵 |
大津市指定文化財 大津町古絵図 寛保2年(1742) 個人蔵 |
上片原町絵図写 元禄8年(1695) 本館蔵 |
三条海道筋山科郷麁絵図 享和2年(1802) 個人蔵 |
東海道大津宿より三条大橋御普請仕様帳并日記ほか古文書 個人蔵 |
保永堂版東海道五拾三次の内大津 天保年間(1830〜44) 歌川広重画 本館蔵 |
木曾海道六拾九次の内大津 天保年間(1830〜44) 歌川広重画 本館蔵 |
東海道日岡峠新道付替図面 慶応元年(1865) 個人蔵 |
東海道逢坂峠掘下げ積計図面 慶応3年(1867) 個人蔵 |
城州日岡峠新道図記 慶応3年(1867) 京都府立総合資料館蔵 |
逢坂越車道通行規制高札 明治9年(1876) 個人蔵 |
花洛名勝図会 巻一 元治元年(1864) 京都市歴史資料館蔵 |
伊勢参宮名所図会 巻一 寛政9年(1797)刊 本館蔵 |
東海道名所図会 巻一 寛政9年(1797)刊 本館蔵 |
京童 巻二 明暦4年(1658)刊 京都府立総合資料館蔵 |
都名所図会 巻一・巻三 安永9年(1780)刊 京都市歴史資料館蔵・膳所高校蔵 |
拾遺都名所図会 巻二・巻四 天明7年(1787)刊 京都府立総合資料館蔵 |
摂津名所図会 巻七 寛政8年(1796) 京都府立総合資料館蔵 |
重要文化財 日ノ岡峠切下普請−件綴込他関連資料 京都府立総合資料館蔵 |
大津御用米会所要用帳 江戸時代 本館蔵 |
馬神社棟札 江戸時代 長等神社蔵 |
馬の腹掛け 本館蔵 |
2 鳥羽街道・竹田街道の車道と車石 |
城州鳥羽海道四塚町より淀小橋迄絵図 宝永7年(1710) 個人蔵 |
淀川両岸一覧 下り船の上 文久3年(1863)刊 個人蔵・膳所高校蔵 |
拾遺都名所図会 巻二・巻四 天明7年(1780)刊 京都府立総合資料館蔵 |
日本山海名産図会 巻二 寛政11年(1799)刊 京都府立総合資料館蔵 |
竹田街道車道図絵馬 安政2年(1855) 正行院蔵 |
竹田街道車道図絵馬写 昭和8年(1933) 正行院蔵 |
新板平安城東西南北町並洛外之図 承応3年(1654) 京都大学附属図書館蔵 |
3 車石に触ってみよう |
車石(実物展示) 5点 個人蔵 |
四斗俵 3点 伊香立・香の里史料館蔵 |
伏見人形(牛車と俵牛) 2点 個人蔵 |
牛わらじ 個人蔵 |
車石他拓本 拓本研究会提供 |
4 保存・活用された車石 |
大津市及び京都市内各所(小学校や個人宅など)に保存、活用されている車石の写真パネル |
※展示予定作品の一覧です。都合により展示作品を変更する場合があります。
展覧会をより深くご理解いただくため、期間中さまざまな講座を開催いたします。
【企画展関連のれきはく講座】
◎3月3日(土)車石の謎に迫る・トークバトル
◎3月18日(日)車石を探しに行こう−東海道@【現地見学会】
◎3月24日(土)日岡峠の道路改修事業と木食正禅 安田真紀子(奈良大学非常勤講師)
◎3月25日(日)車石を探しに行こう−東海道A【現地見学会】
◎4月14日(土)車石を探しに行こう−竹田街道【現地見学会】
詳しくは、講座・講演会情報をご覧下さい。《有料・事前申込制》
◎3月10日(土)車石を観察してみよう 先着60名(事前申込要)
◎3月11日(日)企画展「車石」開催記念シンポジウム(事前申込不要)
※いずれも有料です。
お問い合わせ・申込先:車石・車道研究会事務局・久保孝
電話:075−611−7678(FAX共通) メールアドレス:ica27525@nifty.com
タイトル | 車石(くるまいし)−江戸時代の街道整備− |
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会期 | 平成24年 3月3日(土)〜4月15日(日) |
期間中の休館日 | 毎週月曜日・3月21日(水) |
会場 | 大津市歴史博物館 企画展示室B |
主催 | 大津市、大津市教育委員会、大津市歴史博物館、車石・車道研究会、京都新聞社 |
後援 | NHK大津放送局・BBCびわ湖放送・エフエム滋賀 |
観覧料 | 一般500円(400円) 高校・大学生300円(240円) 小中学生 無料 ※( )内は、前売、15名様以上の団体。および、大津市内在住の65歳以上の方、大津市内在住の障害者の方の割引料金(証明するものをご提示ください)。 |
前売券 | 前売券は、大津市観光案内所(大津駅・石山駅・堅田駅前)、大津市民会館、 ローソンチケット(Lコード:59136)をはじめ、京阪津地区の主なプレイガイドで2月15日から3月23日まで発売。 |