大津市歴史博物館

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第41回 宿場町大津の機構改革
〜昔も今も「改革」は大切!〜(収蔵品紹介)

人馬会所勤方改書印形帳(左:表紙【写真1】、右:部分【写真3】)

 時は享保14年(1729)、残暑も残る閏9月。大津町枡屋町組の各町代表が寄り集まって、一つの文書を作成しました。それが今回紹介する「人馬会所勤方改書印形帳(じんばかいしょつとめかたいんぎょうちょう」です【写真1】。
 人馬会所とは、旅行者に人足や馬の提供をおこなうため大津宿に設置された施設のひとつで、その維持・管理の費用は、大津町各町で共同支出することになっていました。ところが、その出費が嵩み、宿場の困窮を招いたため、享保14年に改革が実施されました。この文書は、その改革の内容を31箇条にわたって書き上げたものです。末尾には、枡屋町組の各町年寄全員の捺印があり、改革の内容について確認しあったことがわかります。【写真2】。
 ここで、その内容について、いくつかの条目から紹介しましょう。第1条では、「会所の入用が多くかかり、町中が困窮して難儀至極だ」として、以後の各町年寄の寄合による会所運営について取り決めたこと、第2条では、大津町七組のうち、大谷や追分を含んだ下関寺町組を他の6組に割り付けて、月毎に順番で管理することを定めています【写真3】。また、第5条では、差し出す人足について、過不足・過分のないようにと、余計な出費を抑えることが定められています。
 さらに、改革の内容は、経費削減以外にもおよびます。たとえば、第28条では、会所へ着ていく服装まで規定していて、袴・羽織を着用することを義務付けています。もし、私用で立ち寄ることがあって略衣になるときは、その訳をきちんと報告するようにともいっています。 このように、「人馬会所勤方改書印形帳」は、維持・運営の再建だけでなく、人馬会所をめぐる日常生活や年中行事まで規定したものだったのです。
 江戸時代の大津町は、幕府の東海道整備によって宿場町として発展しましたが、その裏側には、大津町人の絶え間ない維持・運営の歴史があったのです。 こうした江戸時代の古文書は、一見地味かもしれませんが、約300年前の大津町のあくなき努力の歴史を知るための重要な資料なのです。                                       (高橋大樹)

各町年寄の連署印【写真2】