◆「日露戦争従軍日記」ほか関係資料を寄贈
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◆「従軍日記」ほか関係資料について | |||
長次郎氏は、明治12年(1879)神崎郡北五個荘村小幡(おばた、現五個荘町)に生まれ、同37年3月9日応召、陸軍歩兵第九連隊に編入され、4月満州に向けて出発、38年12月、大津に凱旋するまでの前線での体験を、丁寧な文字で罫紙72枚に綴っている(戦地でのメモをもとに凱旋後に清書したもの)。また、戦地から長次郎氏の実兄に出された手紙と絵葉書類は、長次郎氏の奥様・綾野さんが長く保管していたものを、昭和52年、綾野さん自身がノート(縦25.2cm、横17.8cm)に丁寧に貼り付けられたもの。内容は、戦況地図23点、写真5葉、封書21通、絵葉書7通からなっており、なかには、戦時中に「私年号」として使用された「征露」年号を記した絵葉書なども含まれている。 |
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日露戦争の「従軍日記」は、すでに出版されたものが数冊あるが、これらは、小隊長や軍医、衛生兵といった人々の記録である。今回寄贈される日記の筆者は、従軍時は上等兵(後に伍長・軍曹と昇進)であり、戦場の記述には迫真性がある。従来の日記と合わせて読むと、従軍した軍人たちの戦場での有様(全体像)がよく分かり、日露戦争史の一端を補完する貴重な資料といえるだろう。これらの資料は、来月、7月23日(水)から始まるミニ企画展「大津・戦争・市民」において展示、公開する(会期は8月31日まで)とともに、ミニ企画展の関連講座(7月26日)によって詳しく紹介する。 |
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「征露戦役従軍日記」表紙と日記本文 |
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「従軍日記」の内容としては、筆者の長次郎氏が前線で赤痢にかかって苦しんでいたとき、現地の住人の親切により一夜の宿を提供されたが、用心のため銃剣を枕元に置いて眠ったこと、戦場に放置された敵軍の死体に犬が群がっている様子、また敵軍の負傷者の唸り声が夜間に聞え、敵ながら同情を覚えたこと(「敵ナク隣(隣人の意味か)ナリ」と表現)、極寒のなかで、金属に触れると手の皮がはがれ、ご飯も雪を食べているのと同じだと記されている。また戦地からの手紙には、補給路が断たれたことから物資が充分に届かず、一本の煙草を十三人で吸ったこと、極寒のなか、内地から届けられた毛布に感激したことなどが、綿々と記されており、その詳細な記述は、過酷な戦場で辛酸をなめた兵士の様子を、余すところなく伝えている。 |