博物館の活動紹介
第5回 大津絵絶滅の危機から生まれた大津絵図帖
現在、巷では様々なテレビや商品のキャラクターが流行しています。とりわけ、親近感を抱かせる漫画・アニメキャラクターの人気ぶり(海外においても)は、事情通ではない人間でも一目置くものがあります。ところで、大津絵に登場するキャラクター(画題)とこれらのキャラクターは、そのユーモアや、親しみやすさにあふれた姿や表情で描かれているといった点をはじめ、あい通じる点がいくつもあります。
そもそも大津絵は、現代でこそ、大津が生んだ民画(その土地で育まれた土着的絵画)であり、旧東海道の土産物という歴史的位置付けをされていますが、商業キャラクターの道を歩んだという側面もありました。大津絵の性格が、時代とともに変動したのはその状況証拠ともいえます。すなわち、初期の仏画から、当時の民衆の気質を反映した風刺や諧謔が込められた道訓物へと展開し、そしてさらに日常生活上のニーズに応えた魔除け・吉祥・開運・縁起物といった護符にたどりついたという具合にです。そして、その普及の結果として、様々な大津絵キャラクター製品(根付、印籠、陶器、干菓子など)も生まれました。
大津絵の販売や人気を支えていたのは、旧東海道が旅のルートとして賑わい、通行者が多かったからに他なりません。そのため、明治時代に入り、鉄道が開通して、街道が過去の遺物になってしまうと、必然的にその条件を失ってしまいました。そして、大衆の間で流行したキャラクターが、その人気の衰えとともに、家庭からもいつのまにか姿を消してしまうように、大津絵も急速にこの世から消滅したと思われます。かつて流通した規模に比較して、現代に伝わった江戸時代の大津絵は、ごくわずかでしかありません。
その状況は、すでに大正時代において深刻だったようです。本館蔵の「大津絵図帖」には、作者の楠瀬日年が、大津絵絶滅の危機感を抱き、広く好事家を訪ねまわって100点近くの生き残った?大津絵を確認し、後世へ伝えるために臨写して、それを本にまとめて大津絵画題集としたのが「大津絵図帖」であったことが、彼のあとがきに記されています。本の刊行年が大正九年すわなわち1920年ですが、大津絵の探索から刊行に至るまでに長い年月を要したことが推察されるので、19世紀の末から20世紀初頭の時点では、もはや大津絵は大衆のものではなくなり、希少品として好事家の収集対象となっていたことがわかります。
その一方で、大津絵に惹かれる人々は依然として絶えず、画家や趣味人が描く我流の大津絵は、近代以降も少なからず見受けられ、主な人物だけでも、富岡鉄斎、浅井忠、神坂雪佳、竹内栖鳳、北野恒富、冨田溪仙などの名があげられます。
「大津絵図帖」は、そのような状況のなかで、我流大津絵のお手本として活用されたようです。2001年秋に開催された本館の企画展「知られざる日本絵画 シアトル白澤庵コレクション」に出品された、若狭物外の「大津絵九種図」(1947)に見るにぎやかな大津絵キャラクターの大集合は、「大津絵図帖」を母体に生み出された作品なのでした。
(本館学芸員 横谷 賢一郎)