博物館の活動紹介
第25回 日本最古級の平安時代の鉄仏の初公開について
わが国では仏像は、古来より様々な材料によって造像されました。最も多いのは木造で9割以上、その次に多いのはブロンズの金銅製で、この二つでほとんどを占めます。それら以外の珍しいところでは、土の塑像、漆の乾漆、そして金や銀、そして鉄などの金属による造像もありました。
その中で、鉄造による仏像、鉄仏は、中国や韓国では比較的メジャーな素材ですが、わが国では古い像としては100体ほどしか知られていません。しかも、遺例のほとんどは関東と中部地方にあり、関西には4〜5体ほどしかまだ確認されてなく、本像はその数少ない例の一つなのです。ちなみに滋賀県においては、本像以外ではいまだ古い鉄仏は発見されていません。
さらに、本像は典型的な定朝様(じょうちょうよう 平安中期に仏師定朝が作り出した、平安後期に一世風靡した仏像様式。穏やかで丸い面相部、薄い衣文などが特徴)を呈し、一見して平安時代後期の造立であることは確かです。実は、鉄仏の研究者の間では、鎌倉時代のものが古く、平安時代に遡る作例は、まだはっきりとは確認されてはいません。ただし、今、鎌倉時代といわれている作例の何体かは研究の見直しにより平安時代に遡ると思われるものはあります。そのようななか、本像はほぼ間違いなく平安時代の12世紀には遡る作例であり、わが国に伝存している鉄仏のなかでは最古級の仏像といえるのです。
また、観音寺町の地蔵菩薩坐像と同様に、寛保2年(1742)大津町古絵図(大津市指定文化財 個人蔵 別添写真)を見ると、北保町(古絵図の「北國町」は北保町の誤字)のなかに弥勒堂があることがわかります。本像はこの弥勒堂の本尊と考えられ、少なくとも江戸時代中期には北保町に奉られていたことが判ります。
残念ながら、それ以前の伝来の詳細は不明ですが、三井寺の門前にあたる地域であり、鉄仏は技術力が要るため庶民が作れるようなものでもないことから、かつては三井寺に安置されていた可能性が考えられます。
このように、本像は関西では非常に珍しく、しかも全国で最古級の平安鉄仏であり、三井寺関連の仏像と思われるものです。
今回は、ミニ企画展「三井寺の慶長期の復興と金堂の再建」にあわせて公開するものです。なお、本像が確認されたのは平成8年で、平成10年には大津市指定文化財に指定されていますが、一般に展示公開されるのは今回が初めてのことです。
(学芸員 寺島典人)