大津市歴史博物館

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第29回 開発当時の雄琴温泉絵葉書

「雄琴温泉一滞ノ風景」(個人蔵)

  本年3月、JR湖西線雄琴駅は、おごと温泉駅に改称されましたが、この地が温泉として開発されたのは、大正時代に入ってからのことです。
雄琴の南、天台宗の法光寺(苗鹿一丁目)は、最澄(伝教大師:767〜822)によって開かれたと伝える古刹で、その境内の字蛇ヶ谷に念仏池と呼ばれる池がありました。広大な境内の北端にあたり、北国海道を少し西に入ったところです。その角には、最澄が刻んだとされる坂本六地蔵の一つ苗鹿地蔵が祀られていました(現在法光寺に移す)。
 伝えられるところでは、この水を飲むと、難病たちどころに癒え、この池の泥を塗ると汗疹や皮膚病にも利く霊水だったといいます。
大正8年頃、地元の田中宗吉がこの霊水に着目し、成分を分析させたところ、ラジューム鉱泉であることが分かり、温泉として浴場兼茶店ができたようです。そして大正12年(1923)4月、江若鉄道が雄琴駅まで開通し、利便性が高まると、温泉開発が本格的に始まります。
 大正12年1月に開催された雄琴村議会では、温泉開発の問題が議案としてあがっていました。温泉のある土地の地上権を村が借り受け、その土地を開発業者に賃借する議案で、これについて村長は「温泉場設置計画ニ付大津市奥村房吉ヨリ交渉ノ次第之有、本村発展上有望ノ事業ニ付各員ニモ屡々協議ヲ煩ハシ今日茲ニ提出シタルモノナリ」と説明しています(「雄琴村会決議録会議録編冊」)。
特に産業もない農村だった雄琴村にとって、鉄道の開通と温泉の開発は、新たな可能性を秘めた魅力的な事業でした。 このような経緯で生まれた温泉施設が、絵葉書に見られる施設です。絵葉書は4枚あり、1枚は遠望を、1枚は泉源の祠を、残り2枚は高台に設けられた展望台からの眺めです。朱で「15.7.30」と捺され ているのは大正15年7月30日ということでしょう。ですから、開業まもなくの様子といえます。

「雄琴温泉一滞ノ風景」(個人蔵)

 温泉施設のある場所は、現在湯元館が建っている場所、苗鹿二丁目に当たり、建物の右上、高台に展望台が設けられていました。現在は、旅館や住宅等が建ち並び、湖面の眺望もきかない場所になっていますが、当時はほかになにもない場所でした。展望台からは、雄琴湾や湖面が大きく広がり、近江富士(三上山)をはじめ湖東の山なみが映る景色だったことが読み取れます。何故か「股覗き」の写真もあり、眺望の良さを売り込もうとしていたのでしょう。障害物がなにもない景色は、今から見ると新鮮に写ります。



(本館学芸員 和田 光生)