大津市歴史博物館

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第45回 膳所焼茶入にみる寛永の茶の湯文化

 遠州七窯のひとつとされる膳所焼といえば、お茶を嗜む方は、いわゆる「綺麗さび」的な作行の茶器、特に茶入や水指を思い浮かべられると思います。しかし、膳所焼は、小堀遠州(政一、1579−1647)の関与以前に開窯されており、また、遠州好みの茶器以外の焼成も多かったことが、伝世品や史料、窯跡の発掘調査で出土した陶片類から判明しています。一方、相国寺僧、鳳林承章(ほうりんしょうしょう)による江戸前期の重要な記録『隔記(かくめいき)』寛永16年(1639)6月9日の条には、「自北条久太殿 書状並膳所焼茶入給。所望之也。小堀遠州之目利蓋・袋 遠州殿被申付之茶入也」とあるなど、遠州自らが贈答向けの膳所焼茶入と蓋・仕覆(しふく)を選定しており、彼の好みにかなった茶器が焼成されていたことも事実です。
 では、膳所焼における茶入の特徴は、どのようなものか、大まかに言えば、まず器形は、高い轆轤(ろくろ)技術による、シャープで細身な肩衝や耳付茶入や、小ぶりな文琳茶入などが多く、施釉は、下地の柿釉の上に鉄釉をかけ、錆びた調子を端正にみせる肌に、一筋の釉垂れをみせる景色で、胴下の土みせも、きれいな一文字で出しています。概して、瀬戸茶入の作行を基調にしつつ、より唐物に近づけた精緻な轆轤仕上げと釉薬のあがり、そこに、和様の洒脱さや軽みを加えた折衷的な茶器としている点が特徴といえるでしょうか。
 ちなみに、遠州の茶の湯は、濃茶を草庵の小座敷で、鎖の間で唐物趣味の座敷飾り、書院で王朝趣味の飾りを行い、新興茶人へ、文化・道具全般を啓発する茶でもありました。遠州の肖像画を描いたことでも知られる松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)なども同様の趣向の茶室を構え、茶会を開いています。
 本館蔵の膳所茶入も、作行が折衷的なだけでなく、銘は古歌にちなんだものや、貴顕の詠歌に依っているものや、箱裏には、和歌の小色紙が貼付けてあるものもあります。同時代の他の茶入れ同様、総合的な寛永の茶の湯文化が、小さな茶器に凝縮されています。できれば、博物館や美術館の展示ケースではなく、寛永期スタイルの茶室空間に置いてみたいものです。

(本館学芸員 横谷賢一郎)

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膳所耳付茶入 銘童女
本館蔵

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膳所耳付茶入 銘丹霞
菅沼曲水染筆 蓋裏和歌小色紙