大津市歴史博物館

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第17回 映画館・帝国館古写真について

帝国館古写真

 今回とりあげるのは、1枚の古写真です。かつて映画文化華やかなりし時代が大津にもありましたが、この古写真には、昭和38年(1963)まで営業していた映画館・帝国館(閉館当時は有楽座【ゆうらくざ】)が写っています。位置は浜通りの甚七町(松本一丁目)。周辺は稲荷新地と通称され、戦前まで花街でした。今もその名残を伝える建物が、わずかですが残されています。
 さてこの帝国館は、前身が稲荷座という芝居小屋で、明治45年(1912)に竣工。小屋といっても1,500人を収容する「県下第一」の劇場でした。この稲荷座が大正9年(1920)頃に帝国館と改称し、ほどなく映画を始めたといい、昭和6年(1931)に日活直営となったのです。
 映画館の建物は切妻の大屋根を表通りに向けた堂々とした構造で(写真参照)、向かって右手に巨大看板、その左手に大きな高張提灯が建てられ、いずれにも上映中の「忠臣蔵」の文字が見えます。庇下の横看板にも忠臣蔵の文字と俳優の似顔絵、それと配役が記されているのが分かります。名前を少し列記すると、阪東妻三郎、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、月形龍之介、女優では轟夕起子。いずれもオールドファンには懐かしい名前でしょうね。この映画は天の巻と地の巻に分かれ、昭和13年、「日本映画の父」と仰がれたマキノ省三の没後10周年記念として制作されました。天の巻を息子のマキノ正博、地の巻を池田富保が監督し、配役は阪妻(ばんつま)が大石内蔵助、片岡千恵蔵が浅野内匠頭、嵐寛(あらかん)が脇坂淡路守でした。
 また正面向かって左手の看板(掲載写真では判別不能)には「国民の誓」と記されており、これも昭和13年、国光映画が制作したものです。だから、この写真の撮影年代は昭和13年か、遅くとも翌14年と推定されます。写真を寄贈していただいた白井栄さんのお話しでは、栄さんのお父様が、昭和13から17年にかけて帝国館の支配人をされていたということなので、映画上映の時期と一致します。映画館の前に整列している人達の中で、前列の女のお子さんが栄さんです。またその前にバス停がありますが、そこには「乗合、帝国館前、京阪バス」と記されています。湖岸道路が開通する昭和30年代まで、バスは浜通りの狭い道を運行していました。太平洋戦争が始まる前の、賑わいを見せたかつての大津を想起させる写真です。

(本館学芸員 樋爪 修)