大津市歴史博物館

展示・イベント

原始・古代(1)


旧石器時代の大津

 大津市域では現在旧石器時代にさかのぼる集落跡は発見されていない。しかし当時の人々が使用していた道具類はわずかながら見つかっている。瀬田や田上(たなかみ)では、サヌカイト製のナイフ形石器が、また真野・南志賀(南滋賀)・田上山・瀬田川などからは有茎尖頭器(ゆうけいせんとうき・石槍)が出土しており、狩りで暮す人々の存在が知られる。


縄文時代の大津

 縄文時代の人々は、木の実・動物・魚貝類を食料とし生活していた。これらの食料は石器で調理され、土器により煮焚きされていた。大津市では、真野遺跡や雄琴段々遺跡、穴太遺跡、滋賀里遺跡、粟津湖底遺跡、蛍谷遺跡、石山遺跡などで縄文時代の人々が使用した石器や土器などの道具類や生活の跡が見つかっている。これらの遺跡から、琵琶湖とその周辺の山々に囲まれた大自然の中で生き生きと暮していた縄文人の姿が復元される。

真野遺跡出土縄文土器


歴史事典:石山貝塚

弥生時代の大津

 北部九州に伝わった稲作文化は、またたくまに日本列島にひろがった。錦織や南滋賀、滋賀里などには弥生時代前期の遺跡があり、大津にも弥生時代が到来する。弥生時代中期になると、南滋賀遺跡などで方形周溝墓と呼ばれる墳墓が造られる。また、高峯(たかみね)遺跡などの高地性集落も出現する。弥生時代後期にかけて、榿木原(はんのきはら)遺跡や大伴(おおとも)遺跡、下仰木天神山遺跡など大津市内でも遺跡の数が増加し、分布範囲も広がり、山裾の高台にも集落がつくられるようになる。


歴史事典:榿木原遺跡

古墳の出現と展開

 3世紀後半から4世紀になると地域の首長の古墳が出現する。壷笠山(つぼかさやま)古墳、皇子山1号墳、和邇大塚山古墳、真野古墳などである。これらの古墳は琵琶湖を望む丘陵上に築かれている。6世紀後半から7世紀には、小豪族の家族墓とみられる古墳群(群集墳)が琵琶湖湖西地域に集中する。特に坂本から錦織地域にかけての古墳は、ドーム状の横穴式石室やミニチュア炊飯具セットの副葬(ふくそう)などの特徴から渡来人(とらいじん)との関係が強いと考えられる。また、小野に所在する唐臼山(からうすやま)古墳は7世紀前半頃の箱式石棺(せっかん)を拡大したような特異な石室を持つ古墳である。

ミニチュア炊飯具


歴史事典:皇子山古墳和邇大塚山古墳膳所茶臼山古墳百穴古墳群唐臼山古墳春日山古墳群
曼荼羅山古墳群西羅古墳群平石古墳木の岡古墳群福王寺古墳群国分大塚古墳若松神社境内古墳