大津市歴史博物館

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第21回 仏師快慶の晩年にあらわれる阿弥陀来迎の歩行表現について

 仏師快慶の晩年やその頃(1210年から20年代)の弟子たちの作とされる三尺(約90センチ)の阿弥陀立像や他の尊像の立像などをよくみていると、ある一つの表現の特色というか癖が目に付きます。それは、左足先を前に出しながら左腰は逆に引いた状態を表す体制表現です。実際に歩いてみるとわかるのですが、左足を出しているときは、左腰も前に出ているのが普通です。足とともに腰も前に出るのが自然なはずなのに、なぜこんな不自然な姿勢をしているのでしょうか。
 実は、この快慶一派が得意とした立像の阿弥陀如来は、往生者を極楽浄土から迎えに来る、「来迎」の姿を表しているのです。前の時代までの阿弥陀如来は坐像にあらわされることが多かったのですが、わざわざお迎えに来ていただける姿を人々は求めたため、立像が流行っていきます。快慶のこの不自然な体勢も、実は迎えに来つつある姿を表しています。

 つまり、左足と左腰をまず出して踏み出した後に、当然順番として右足と右腰をほぼ同時に出すことになるのですが、快慶のこれらの表現は、まさに右足を出す直前で、右腰がやや前に出た瞬間を表現しているのではないでしょうか。そして右足も前に出つつあるが、出しきっていない状態で、足が体の真下に来ている状態と思われるのです。そして、一息後にはおそらくは右腰と右足は完全に前に踏み出されることになるのでしょう。そう考えると、この不思議な表現も理解できます。まさに、往生者に向かって歩きだしている足と腰の表現なのです。
 今回「比良山麓の文化財」展で展示した西岸寺像(写真)をみてみると、さらに、裳裾が地面に引きずられているように後方に寄っていることがわかります。まさに、ウエディングドレスのように、ずるずると引きずっている途中であることを実にうまく表しています。
 「さすがは快慶、リアルだ」とその造像態度に感動すら覚えますが、でも実際にやってみたら生身の我々には真似の出来ない姿勢であることも確かです。「快慶棟梁、それはちょっとやりすぎですよ」と諭す弟子たちもなく、一番弟子の行快をはじめとして、みんなそろって踏襲していきました。
 晩年の快慶が考え付いたこの表現は、参拝者からみて阿弥陀が来迎に現れた姿をリアルな臨場感とともに表すことに成功しているわけですが、このことにこだわるあまり、人体表現でもある仏像の彫刻としての不自然さが残るのは否めません。それでもあえてそうしたのは、みずからが阿弥陀の熱烈な信仰者で、極楽往生を願った快慶の「阿弥陀はこうあるべき」というこだわりだったのでしょう。そんな生真面目なところがまた、快慶のいいところで、後世の仏師に多大な影響を与えたところなのかもしれません。


(本館学芸員 寺島典人)