博物館の活動紹介
第4回 明治期の大津祭
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湖国三大祭の1つとして、毎年多くの人々が訪れる大津祭。先頭(くじ取らず)の西行桜狸山を除いて、曳山の巡行順は毎年くじで決められています。
今回紹介する資料は、明治2年に制作された、その年の曳山の巡行順の示した刷物です。表面には13基の曳山がその年の巡行順に並び、曳山の簡単な絵と由来が記されています。木版のため、表現はやや稚拙に感じられますが、曳き山の屋根の形やからくり人形などで各曳山の区別がつけられています。
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また、本資料は毎年替わる順番に対応できるよう、おそらく版木が曳山ごとに分かれており、その年の巡行順に並べ替えられるようになっていたと考えられます。それを示すのが、左端の黒くなった部分です。当時、大津祭の曳山は、堅田町の神楽山(三輪山)を加えて十四基ありました。この頃には、神楽山は巡行しておらず、休山状態になっていたため、左端に黒い部分ができたのでしょう。現在確認されているものは、明治2年のものだけですが、その仕様から前後の年に発行されたものも存在する可能性を秘めています。
後半には四宮神社(天孫神社)の神事行列の姿も描かれています。曳山の巡行については、代々書き継がれてきた「四宮祭礼牽山永代伝記」(市指定文化財)などで、その変化をおおよそ知ることが出来ますが、天孫神社の本来の祭りともいうべき神事行列は、資料があまり残されておらず、行列の姿が描かれたこの資料は、非常に貴重なものといえます。
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行列では、2基の神輿とともに、各氏子町内から出された獅子や鉾、造花など、多くの「ねりもの」が、参加しており、曳山巡行に劣らず賑やかな行列であったことがわかります。現在では、神事行列に各町の「ねりもの」は参加していませんが、八幡町の獅子などは天孫神社の行列として、曳きだされています。
なお本資料は、平成17年11月6日(日)まで開催しているミニ企画展「大津祭の装飾品 2」で展示しています。
(本館学芸員 木津 勝)