博物館の活動紹介
第36回 博物館の新収蔵品について(平成22年度分)
博物館では、散逸しがちな地域の史料や文化財を積極的に収集・保存しています。今回は、平成22年度の新収蔵品を紹介します。
大津絵 長刀弁慶 1幅 江戸時代(17世紀)(購入)
大津絵の長刀弁慶の初期作。一七世紀に遡る。一八世紀中葉の作とは、体の向きや長刀を持つ腕、甲冑の描写などが異なる。その姿は、最後まで義経を守って立ち往生した様と言われ、慈悲の心の大切さを諭す教訓的画題とされる。表具は柳宗悦の仕立てによる丹波木綿。軸首はバーナード・リーチ。
柴田晩葉 巡礼者御一行 1幅 大正時代 (購入)
振り分け荷物に洋傘を差した身なりの団体さんが観音霊場札所の境内を歩く。当時、地方から都会の名所巡りをしていた、おのぼりさん御一行は、仲間がはぐれないように「赤ゲット」と呼ばれる毛布を身にまとっていた。
柴田晩葉 俳画しぐれ傘 1幅 昭和時代(戦前) (購入)
師の山元春挙は狂歌師好き、そして晩葉は俳句好きで、当時の『滋賀県人物史』でも紹介された。本作は逢坂の関を詠んだ屈託のない俳味で軽妙に季節感を表現している。
「しぐるゝや 人馬かけゆく 関の趾」
歌川広重 東海道五十三次のうち大津(隷書東海道) 江戸時代(19世紀) (購入)
題箋の書体により「隷書東海道」と通称される東海道揃物。『東海道名所図会』の挿絵「大津絵の店」を反転・引用しているが、品定めをする買い物客や、お喋り好きの女性、喧嘩っ早い人足など、広重のアレンジが楽しい。
歌川広重 東海道五十三次のうち大津(行書東海道) 江戸時代(19世紀) (購入)
こちらは「行書東海道」。石場の港にあった茶店を描く。「名物 源五郎鮒」の看板が大きく目立ち、当時から琵琶湖名物であったことが分かる。
歌川広重 東海道五十三次のうち大津(狂歌入り東海道) 江戸時代(19世紀) (購入)
狂歌が添えられているバージョンの東海道揃物。やはり石場の港を描く。狂歌は「君が代のたからを積みて門出の 仕合よしといさむうしかひ」
三代歌川豊国・二代歌川広重 観音霊験記のうち岩間寺・石山寺・三井寺 幕末 (購入)
観音霊場にまつわるエピソードを三代豊国が、境内名所絵を二代広重が描いたシリーズ。岩間寺における松尾芭蕉、石山寺の良弁、三井寺に毎日かかさず観音参りをした杉女の各エピソードが描かれる。
瀬田国民学校絵日記 一揃 昭和時代(戦前) (西川馨氏寄贈)
同校五年智組の児童が描いた絵日記。担任の西川綾子先生の指導によるもので、晴れやかな入学式の絵の一方で、勤労動員や防空訓練など、戦時下の厳しい生活ぶりが、純粋な子供たちの目を通して描かれている。
寺内北南西各町及び真町絵図写 一鋪 (大西淳氏寄贈)
明治15、16年頃(1882、83)に制作された寺内周辺(現在の日赤病院付近)の絵図面を、昭和34年に筆写したもの。この付近は都市計画道路により風景が一変しており、絵図によって明治期の風景を復原できる。
昭憲皇后行啓次第書 一冊 明治9年(1875) (上野孝司氏寄贈)
昭憲皇后が、皇居から京都御所へ行啓した際の記録。当時は東海道線がまだ一部しか開通しておらず、皇后は輿に乗って移動した。この記録には、大津宿や鳥居川、大谷町での休憩場所や日程などが詳しく記されている。
西光寺獅子口 両脚部付き 一式 安政6年(1859) (西光寺寄贈)
現平野一丁目(上田上平野村)の西光寺本堂大棟にあった獅子口。安政の年号とともに、青地村(現草津市)の瓦師が作ったことも刻まれている。
大正・昭和期記念写真 大正〜昭和時代 6葉 (宇野功氏寄贈)
大津西尋常小学校(現長等小学校)や大津尋常高等小学校(現中央小学校)の卒業記念写真など。学生服はわずかで、ほとんどの児童が着物姿である。
戦時雑嚢各種 昭和時代(戦前) 5点 (宇野功氏寄贈)
舞鶴において兵役についた人物が使用していた肩掛け鞄やリュックサックなど。鞄のラベルに「舞鶴軍需部」「昭和十九年」などの文字が見える。
8ミリ映写機 昭和時代(昭和50年代) 1台 (堤節夫氏寄贈)
チノンサウンド9000。この映写機のように、昭和50年代の資料も残り少なくなっており、展示等に活用できる歴史資料となっている。
蚊帳 昭和時代 一張 昭和時代(戦前) (堤節夫氏寄贈)
取り付けられたタグに「桜印(サクラ印)」と記されており、近江蚊帳であると考えられる。寄贈者が五十年程以前に購入したもの。