大津市歴史博物館

博物館の活動紹介

第8回 開館15周年記念シンポジウム「地域と博物館」報告

シンポジウムの様子

   大津市歴史博物館は、平成2年10月28日に開館しました。それから15年を経過した本年10月29日(土)、「地域と博物館」をテーマに記念シンポジウムを開催しました。講師に木村至宏氏(成安造形大学学長・大津市歴史博物館顧問)、上原恵美氏(京都橘大学教授・滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール館長)をお招きし、各20分間の基調講演ならびに討論を行いました。その詳細についてはいずれ活字化しますが、ここではその概要を紹介します。

基調講演1
市史編さんから歴史博物館へ-収集資料の保存と活用- 木村至宏氏

   大津市では明治時代から歴史の足跡を将来に伝えようとする機運があり、明治44年(1911)、昭和17年(1942)、同37年、同51年と、市史の編さんがなされたが、私は、その37年の市史編さんに関わり、大津の町を初めて歩きました。
 そして市制80周年を機に、昭和51年『新修大津市史』の編さんが始まりました。その頃は高度経済成長の後、市民生活が大きく変貌を遂げていた時期で、資料の散逸が非常に激しかった時です。このままでいくと、先人たちがどのような歴史をつくってきたのか、あるいは歴史とどのように対峙してきたのか、それを示すものがなくなっていくのではないか、という一つの危機感がありました。
 そこで、市史編さん室の少ない人員でしたが、ローラー作戦で、各学区ごとに教えてもらいながら、市民の協力によって資料の収集を行いました。また当時は埋蔵文化財の発掘調査が盛んに行われ、長らく謎の都とされた近江大津宮の所在地が判明するなど考古学の成果が著しい進歩を遂げたこと、また昭和42年に大津市と瀬田・堅田両町が合併したこと。これらを契機に、最新の学問の成果を編さんすべきではないか、ということで『新修大津市史』の編さんが始まりました。
 資料調査件数756件、撮影した資料のフィルムコマ数55万8千コマ、編さん室に寄せられた資料は約4,000点を超えました。ではこれらの重要な資料をどうしていくのか、今後どのように保管し活用していくのか。ちょうど市史の編さん(全10巻)が完結した63年に、博物館建設室が設置され、博物館が具体的にスタートしました。
 博物館建設に際して、大津市は全国に先駆けて違う方法をとりました。従来は建物を建ててから常設展示を考えていましたが、本市では最初に、どのような常設展示にするかを協議してから、展示構想審査を行い、建物の構造を決めていきました。そして市民から寄せられた資料を中心に、「大津の歴史と文化」を常設展示のメインに据え、博物館は開館しました。しかし資料というものは自動的に散逸していく。それらを防ぎながら、市民の協力のもとに博物館が発展していくことを念じております。

基調講演2
文化活動の拠点づくり-県立図書館・琵琶湖博物館・びわ湖ホール- 上原恵美氏

  私が昭和54年(1978)に滋賀県の観光物産課に入った頃、関係者は、滋賀は文化が遅れている、文化不毛の地、文化果つる地と自虐的に言われておりました。昭和51年にはじめて滋賀に赴任してみると滋賀県の文化の深さにほとほと感じいっていた私は、「文化不毛の地」ではないと思いました。しかし仕事をやってみてなるほどなと思いました。というのは、滋賀県には都市的文化施設が皆無だったのです。図書館も無い。大きな本屋さんも少ない。映画館も美術館も大学も無い。ホテルも無かった。そういった状況が大きく変わったのが、昭和55年以降であったと思います。
 滋賀県では昭和47年に「文化の幹線計画」が策定されました。それは、文化芸術会館・図書館・美術館・博物館・文化会館などを整備するという構想でした。今では市町村立でも民間でも良い施設ができてきました。この25年間になんと滋賀県は変わったんでしょう。今滋賀県では「装置」は整ったと思います。現在の課題は、財政難や合併問題。たとえば合併によって、一つの市の中にこれまで独自ですばらしい活動をしてきた図書館が複数存在することになります。合併したからダメになったりしないでほしい。旧町の固有名詞を持っている文化施設は、その町の人達の心のよりどころなんです。
  それに加えて指定管理者制度導入の問題。すべてが改悪とは言わないが文化施設にとっては改悪としか言えない。建物が建ち、中身が動きはじめるという時期に、もともとどういう役割を果たすものだったのかをあまり考慮しないような制度改変は改悪ではないかと思っています。次の世代に何を残していくのか、今の私たちだけが良ければいいという時代ではないと思います。

木村至宏氏        上原恵美氏
木村至宏氏                    上原恵美氏

討論

松浦(館長)  お二人の先生方が文化事業に関わられたこの四半世紀の間に、県民や市民の、文化や文化施設への意識は変わったんでしょうか
木村  十五年前、博物館が開館した時は多くの市民の方が興味をもたれ大変賑わいました。でも一度見たらいいんじゃないか。市民の方の文化への意欲が次第に高くなってくると、そういう方にきちっと答えていくために、博物館がどう対応していくべきかが大事だと思いますね。
上原  私は県民や市民が文化施設に求めるものは変わっていないと思います。ただ様々な文化施設ができた。それをどのように選んでいくのかということだと思います。大津市歴史博物館には、大津の歴史という素晴らしいバックグラウンドがある。滋賀県立近代美術館は小倉遊亀さんの作品が一つの柱ですが、新しい時代の風を感じる作品(現代美術)がもう一つの柱になっています。歴史博物館と違った意味で、現代の息吹を感じられる場所としての役割でしょう。それが新しくできる施設の使命だと思います。

松浦  大津の恵まれた歴史を地道に掘り起こし展覧会で皆さんに還元するのも使命ですが、それが入館者増にはつながらないという悩みがある。その点に何かご意見は。
木村  博物館はいまだに「古い」というイメージを払拭できない。ある会議で講師のアンケートをとる、とすぐにマスコミで有名な人達があがる。しかし地道に活動していくことが大事で、博物館はお金儲けしたらダメ。社会教育施設なんです。市民のニーズは多様です。それに視線を合わせること。そのなかで博物館の活動の考え方として、一つは地域中心に掘り起こしていくこと、二つめは、予算に余裕ができれば、普通では見られないようなものを展示できれば博物館での出会いの機会が作れる。それも大切なことです。
上原  まったく同じですね。びわ湖ホールでも野村万斎さんとか指揮者の小澤征爾さんとかが来ると即完売。でも残念さがある。皆が力を合わせて地道につくってきたものが認められない。しかしオペラの世界では、そういう活動を継続するびわ湖ホールは大変評価されている。レベルを落とすのは反対です。

松浦  最後に、歴史博物館は今後どういう役割を果たしたらいいのか。一言ずつお願いします。
上原  行きたいけれども行けないような所のものを持ってきて展覧会をするのも大きな役割と思います。それに市民の人達とどのように関わるのか。土曜講座やワークショップは非常に密な関わり方です。大津の博物館が無くなったら困るとか、ハードコアなファン、サポーターの人達に是非、力になっていただきたい。山崎正和先生が「その土地の文化や芸術を創造するのはそこに住む一般の人達の受容能力である」と言われています。俳人芭蕉を受け入れたように、近江にはそういうキャパシティがある。それをどうやって今の時代に呼び起こすかが文化施設の使命だと思います。
木村  博物館がどのようなメニューを作れば市民の方が食べていただけるのか。私は企画展も大事だと思いますが、まだまだ市域に眠っている資料にいかに光をあてるか、この土地を奥つ城の地と考えられている市民の方々に、大津・滋賀県の素晴らしさを知ってもらうことが博物館の役割だと思います。

松浦  ありがとうございました。今日ご参加いただいている皆様にも協力していただきながら、今後、性根をすえて新しい博物館をつくっていきたいと思います。