展示・イベント
平成24年度
- 第59回企画展 法然上人没後800年記念・親鸞聖人没後750年記念企画展
阿弥陀さま-極楽浄土への誓い-
平成24年 10月13日(土)〜11月25日(日) -
大津市の比叡山延暦寺は、平安中期に恵心僧都源信が『往生要集』を著して以来、我が国の「浄土教」の中心地として著名でした。ここで修行した後、阿弥陀の浄土信仰を広めたのが法然上人(法然房源空)です。もっぱら阿弥陀如来の誓願を信じて「南無阿弥陀仏」の名を唱える人は、みな極楽往生できるという画期的な信仰でした。さらにその弟子の親鸞聖人はわかりやすく念仏を広め、この後我が国の仏教は浄土教を中心に広く展開していきました。本年は、浄土宗開祖の法然上人が入滅して800年、さらには浄土真宗の祖、親鸞聖人も、今年が入滅して750年の節目の年にあたります。
本展では、それらを記念して、大津における浄土信仰の流れを追い、そして様々な阿弥陀如来像の姿や、後の阿弥陀如来の姿のスタンダードを創出した仏師快慶・行快一派の作例を観覧し、さらには大津市内に所在する浄土宗寺院の寺宝の数々を紹介します。新発見を含む多数の初公開寺宝をお見逃しなくご覧ください。
企画展「阿弥陀さま」の詳細リーフレット【PDF】 展示品一覧【PDF】 - 第60回企画展
大津百町-マチから始まるモノがたり-
平成25年 3月2日(土)〜4月14日(日) -
大津の中心市街地、いわゆる「大津百町」(おおつひゃくちょう)のルーツは、今から400年以上前に築かれた大津城の城下町に求められます。関ケ原合戦を前にした大津籠城戦で廃城となって後、大津は徳川家康によって、宿場町・港町として整備され、本格的な発展の道を歩みます。明治時代になると、鉄道の開通や蒸気船の就航、さらに昭和に入ると湖岸の埋め立てなど、都市の景観は急激な変貌を遂げます。
本展では、現在まで残された、都市の変化を示す痕跡、たとえば舟入堀の跡や、かつての湖岸線に残された石垣、江戸時代の面影を残す町家、八町や突き抜けといった通り名などに焦点を当て、それらの事柄にどのようなマチの歴史が秘められているのかを、現代から江戸時代まで、歴史をさかのぼるような視点で明らかにしていこうと考えています。なお、本展は博物館とまちなかを会場とする「大津百町大博覧会」の一環として開催するものです。
《《「大津百町大博覧会」について》》
「大津百町大博覧会」は、大津市の中心市街地、いわゆる「大津百町」に焦点を当てて開催するものです。会場は、歴史博物館と百町のまちなかに設け、博物館と市民グルーブ、大学等が共同して開催します。これは、各会場での展示をご覧いただいた後、現在の大津百町を実際にご覧いただきたいという願いによるものです。是非とも、それぞれの会場や百町の市街地を巡っていただき、皆さんが体験された貴重な思い出や、これからのマチに対する思いを会場内でお寄せいただければと思います。皆さんと一緒になって、「百町の履歴書」を完成させたい。それが、この大博覧会の大きな目的なのです。
「大津百町大博覧会」の詳細リーフレット【PDF】 「百町をマッピング!」展示品一覧【PDF】 - 第96回ミニ企画展
大津絵大図解
平成24年 4月17日(火)〜5月27日(日) -
江戸時代を通じて大津の代表的な名産であった大津絵。当時の日本各地における土産物番付においても、西の前頭にあげられています。大津絵が売り始められたのは、東海道の整備が始まった江戸時代初期と推定され、寛文元年(1661)の文献に確認することができます。
当初は、もっぱら仏画が描かれていましたが、土産物競争の中で、浮世絵や絵本の流行に歩調を合わせた大衆化路線へ進みます。江戸時代中・後期には、美人画や役者絵的な画題をはじめ、動物や鬼を擬人化させて滑稽に描く風刺画のキャラクターたちが登場し、旅人の心をつかんでいきました。その当時の人気ぶりは、同時代の浄瑠璃や謡曲などにも取り上げられたことからもうかがわれます。
本展では、伝統的な仏画や日本絵画における尊像やモチーフが、大津絵では制作・販売上の理由で、どのように簡略化されているのか、また、風刺や滑稽、教訓、護符の意味によって、どのようにアレンジされているのかについて展示で図解しながら大津絵キャラクターの図像を紹介します。 - 第97回ミニ企画展
新収蔵品展
平成24年 5月29日(火)〜7月8日(日) -
歴史博物館では、毎年ミニ企画展コーナーにおいて、新たに収集した資料を紹介する「新収蔵品展」を開催しています。平成23年度は、希少な古大津絵をはじめ、皆川淇園や紀楳亭・横井金谷の文人画、明治初期の石山寺参道を写した古写真、日吉三橋のコレクションや戦後高度成長期の大津を記録した写真類など、大津の歴史と文化を語るうえで、大変貴重な資料が新たに加わりました。
本展では、これら平成23年度に新たに収集した資料を一堂にお披露目します。 - 第98回ミニ企画展
シベリア抑留の記録
平成24年 7月10日(火)〜8月19日(日) -
第二次世界大戦後にソ連軍の捕虜となり、多くの方々が極寒の地シベリアに抑留されました。厚生労働省援護局の調査では、抑留者は約57万5千人、そのうち抑留中に死亡された方は約5万5千人となっています。ただ、死亡者数についてはまだまだ流動的です。今回のミニ企画展では、大津市内に在住されている抑留体験者の方たちから、帰還後に書かれた思い出などをパネルによって紹介するとともに、現在まで大切に残してこられた、シベリアを始めとする戦前・戦後の資料を展示することで、あらためて平和の大切さについて考えたいと思います。
- 第99回ミニ企画展
大津港の船
平成24年 8月21日(火)〜9月30日(日) -
天正14年(1586)頃、豊臣秀吉の命を受けた浅野長吉は、坂本城を廃し、大津に城を移します。この大津城の築城に伴い、新たに大津町が形成されましたが、その核を担ったのが「大津百艘船」の創設です。
「大津百艘船由緒」によると、豊臣秀吉が伏見城を築城し拠点としたことで、東国や北国の諸大名が参勤するにあたり、大津に多数の船を常備する必要が生じました。このため、秀吉は浅野長吉に船百艘を常備するよう命じます。そこで浅野は、従来の船に加えて坂本、堅田、木浜の船持ちを集め、百艘を調えたのが大津百艘船のはじまり、とされています。 それに加え、天正15年、浅野長吉は大津百艘船に大きな特権を与える高札を出します。五条からなる定の第一条は「当津荷物・諸旅人、いりふねにのせましき事」とあり、大津の荷物や旅人は、他所の湊から大津に来た船に積ませてはならない、というもので、この特権は江戸時代を通じて大津に認められていました。こうして、大津は琵琶湖における南の玄関口としての地位を確固たるものにします。
江戸時代の大津は、湖岸に幕府の蔵をはじめ諸藩の米蔵が建ち並び、その積み下ろしをする関が多数ありました。今、島ノ関という地名が残っていますが、それ以外に川口関・扇屋関・風呂屋関・永原関・紺屋関・馬場殿関・玄正関といった関が続いていました。いずれも、幕府や諸藩の年貢米をはじめ諸荷物を積載した船が着岸する場所で、港町としての大津は、湖岸に沿って繁栄していたのです。
明治時代になっても、湖上船運の重要性は変わらず、船の近代化が急速に進みます。明治2年蒸気船「一番丸」が進水し、その後次々と蒸気船が就航します。明治18年(1885)には、大津と長浜を結ぶわが国初の鉄道連絡線も誕生しました。明治22年には東海道線が全通し、その役割を終えますが、 その後、琵琶湖は、観光をメインに様々な企画で人々を迎える観光船が就航する湖に移り変わります。
展覧会では、大津港の移り変わりから、こうした琵琶湖の歴史の一端を紹介します。 - 第100回ミニ企画展
縄文ムラの景観と風習
平成24年 10月2日(火)〜11月25日(日) -
縄文社会における呪術や宗教を理解するうえで貴重な資料を提供した穴太遺跡と滋賀里遺跡を紹介します。地表下5mで見つかった「穴太ムラの景観」や100基以上の墓が密集して見つかった「滋賀里縄文人の風習」など、縄文土器や石器・木製品など豊富な出土品と写真資料を題材に、「おおむかしのくらし・墓・いのり」のようすをうかがいます
- 第101回ミニ企画展
趣味家謹製!! 巳年の年賀状
平成24年 11月27日(火)〜平成25年 1月14日(月・祝) -
大正・昭和の趣味家(コレクター)たちが交換会を通じて制作した「道楽絵はがき」。今回は米谷徳太郎コレクションの中から、昭和16年(1941)巳年に交換された年賀状を中心に展示します。年賀状交換会のために、洒落や見立て知恵を絞った木版年賀状の数々をお楽しみください。
- 第102回ミニ企画展
大津の仏教文化13 延暦寺の仏画
平成25年 1月16日(水)〜2月24日(日) -
天台宗総本山、比叡山延暦寺は、我が国最大の寺院の一つとして実に多くの宝物を所蔵しています。なかでも仏教美術はその中心で、重要文化財など指定されているものも多くありますが、未指定ながら優品も多く伝来しています。今回は今まであまり紹介されることのなかった未指定の仏画を中心に紹介します。
- 第103回ミニ企画展
大津の古文書6 大津町人の誕生
平成25年 2月26日(火)〜4月14日(日) -
江戸時代の大津百町は、東海道の宿場町、琵琶湖水運の港町、そして三井寺の門前町として発展していきます。本展は、企画展「大津百町」と連動して百町が誕生する以前の室町・戦国時代の様子、また、その後発展していく町の姿を、町人の組織や年中行事に関わる古文書から紹介します。